松 本 遥 陽 (VJEP2018 日本学生リーダー)
(上智大学総合グローバル学部1年)
(上智大学総合グローバル学部1年)
私は海外に行くことが基本的に好きである。というのも、新しい国についた時の衝撃や興奮、発見や交流、それと異国でしか味わうことができないスリルがたまらなく好きだからである。高校生の間、様々な休みを見つけては奨学金やお年玉を使ったり、企業のイベントなどに応募して無料で行ったり、あの手この手を使って7カ国ほど旅をした。高校三年生の夏、受験生、誰もが塾に行ってる間、8月の1ヶ月間、私は台湾に滞在していた。誰もが私の浪人を覚悟していたが、根拠のない自信に満ち溢れていた私は第一希望に合格した。いわゆる奇跡である。とにかく、異国に行くことを何よりも優先してしまうほど、私は異文化体験が大好きなのだ。時には、ボラレた嫌な思い出だったり、受け入れられないようなマナーに悩まされたり、ましてや銃口を向けられスラム街に置き去りにされたこともあったが、それでも好きなものは好きなのである。
今回このプログラムに参加したのは、同じ参加者である友人からの勧めだった。国はベトナム、テーマは教育と貧困、ちょうど一人定員が余っている。これはもう、私を待っているのだ、と確信し、親に確認を取る前に応募フォームを書き始めた。「ベトナム行ってくる」と母親に言うと、「気をつけてね」との返事が来た。今回の国はベトナム。この国にはどんな衝撃が待ち構えているのだろうか、と胸が高鳴った。
まず、一番最初に私に衝撃を与えたのは、バイクの交通量である。東南アジアは基本的にバイク社会であることは、他のアジア諸国に行った経験からなんとなく想像はできたが、ベトナムは桁違いであった。空から降り掛かる矢のごときバイクの数。道を渡るのは命がけだった。横断歩道を渡るだけで命がけというのもなんだか面白いが、 横断歩道の途中で躊躇しようもんなら、轢き殺されてしまいそうだった。私が一つ言えることは、ベトナムの横断歩道で大切なことは、1手をあげること、2左右確認、3タイミング、4度胸、である。下手に歩みを止めてはいけないのだ、下手な迷いは禁物、人生と同じである。現地の人は「ホーチミンは事故が多いけど、スピードを出さないから死亡事故は少ない」と言ってた。そういう問題ではない気がするが。実際に車とバイクの衝突事故を目の前で見てしまったことはトラウマであるが、何事もなかったかのようにバイクの運転手も車の運転手も会釈して走り去って行ったこともまたトラウマである。ベトナムでの都市鉄道の実現化が先遅れになっていることもベトナムに実際に来てみてよくわかった気がする。鉄道普及による渋滞の緩和、二酸化炭素排出などの環境問題へのアプローチがあるが、それだけでなく、バイクよりも鉄道が圧倒的に人々の暮らしを豊かにできる確信を具体的に国民に表示しなければ、これほどまでのバイク文化が浸透しているベトナムで、鉄道の革命がこの国にもたらせるメリットは少ないような気もした。
次に、私が一番忘れられない体験となった、戦争証跡博物館について話す。
この博物館は、ベトナム戦争で実際に使用された戦車や大砲、爆弾などの戦争遺物、写真などを展示している。目を覆いたくなるような凄惨なパネルや、枯葉剤による被害状況の記録、ホルマリン漬けの奇形胎児などの展示は、戦争の傷跡を生々しく証明していた。私はこういった負の歴史を残した場所が、とても苦手である。その理由は、負の事実を目の当たりにして、心が重くなるからではない。正直に言うと、その逆で、負の歴史を目の当たりにした時に、もしも自分が何も感じなかったらどうしようと考えると怖いからである。 誰もが何かを感じ取れる場所で、私ひとりだけ変に冷めてしまったらどうしようと怖いのだ。しかし、私は逃げ出したくなるくらいの衝撃をこの博物館で受けた。惨すぎて目が離せられないような写真がたくさん展示されていた。ベトナム戦争の現実を受け止めるのには時間がかかった。学校の歴史の授業で見たことのある写真も展示されていた。学校の授業の時は何も感じなかった一枚だったが、ベトナムという地を知り、ベトナム人の優しさを知ってしまった後にその写真をみるとでは、こみ上げてくる思いが違う。私は記録として何枚か写真を撮りたかったが、写真を見つめることしかできなかった。記録には残せなかったが、記憶には生々しく残っている。これらの写真は信じたくない現実であるとともに、これが現実だと受け止めるにはあまりにも人間が怖すぎると感じた。プログラム中には孤児院にも行く機会があったのだが、そこにいる奇形児や障害を持った人々をみて、博物館での写真を思い返してしまい、心が締め付けられる思いになった。戦争の残した爪痕をリアルに感じた。このような場所に行くことは、向かうまでは憂うつだし、決して面白いことではないし、帰りもずっしり心が重くなる。それでも、知ることに意味があるんじゃないかと思う。知ることは大切、忘れないことは大切、語り継ぎ繰り返さないことが大切、未来に・子どもたちにつなげることが大切だと感じる。
最後に、私はこのベトナムでのプログラムのリーダーだった。私は本当に何にもしないリーダーだったと思う。自分のできることは全てやったつもりだが、特に何もしてなかった。周りの参加者に度肝を抜かれ、ずっと見つめていたような気もする。自分が最年少だったこともあって、なめられないようにそれっぽく振舞ってみたが、終始周りの参加者に圧倒されていた。私は根っからの負けず嫌いなため、この二週間ずっと悔しい思いをしていた。みんなに刺激をもらっては、自分もそれに食いつこうと必死だった。私はずっとみなさんに引っ張っていってもらったように感じる。引っ張られるリーダー。リーダーとしては何もしていないのに、周りから数え切れないほどの刺激をもらった。本当に素晴らしいチームだったなあ、と感謝の気持ちで一杯である。ありがとうございました。
私にとってこの2週間のベトナムでの異文化交流は、楽しいことだけではなく、様々なことに気づかせてくれた最高の機会だった。ベトナムという国を知れば知るほど学ぶことは多く、知れば知るほど国が抱える深刻な問題を肌で感じることもあった。
また、人と人とのつながりを広げる上で、自分の意見をどのように主張すればいいのか、また、思わぬところで偏見や差別をしてしまわないように的確な知識を持つことがどれだけ大切なのかということを改めて学ぶことができた。
そして、日本を恵まれた国だという指標を自分の中でつくってはいけないと感じた。幸せの指標は人によって異なるのだし、幸せだと感じる大きさも人それぞれであると私は思う。置かれた場所で咲くことのできている人間こそ豊かなのだと、今は亡き私の高校の時の校長先生が言っていた。今はよくこの言葉を理解することができる。こころの豊かさは、決して物の豊かさとは比例しない。これは私が確信を持って言えることである。最後に、人種、言語、宗教、価値観などの壁から一歩を踏み出すことによって得られるものは多い。ここでの出会いや学びを次に生かさないと勿体無い。これからも私らしくいろんなことへの興味や探究心を忘れないでいたい。