2018年10月10日水曜日

ベトナムVJEP2018 報告書(10)松本遥陽(上智大学 総合グローバル学部1年)

松 本 遥 陽 (VJEP2018 日本学生リーダー)
(上智大学総合グローバル学部1年)

 

 私は海外に行くことが基本的に好きである。というのも、新しい国についた時の衝撃や興奮、発見や交流、それと異国でしか味わうことができないスリルがたまらなく好きだからである。高校生の間、様々な休みを見つけては奨学金やお年玉を使ったり、企業のイベントなどに応募して無料で行ったり、あの手この手を使って7カ国ほど旅をした。高校三年生の夏、受験生、誰もが塾に行ってる間、8月の1ヶ月間、私は台湾に滞在していた。誰もが私の浪人を覚悟していたが、根拠のない自信に満ち溢れていた私は第一希望に合格した。いわゆる奇跡である。とにかく、異国に行くことを何よりも優先してしまうほど、私は異文化体験が大好きなのだ。時には、ボラレた嫌な思い出だったり、受け入れられないようなマナーに悩まされたり、ましてや銃口を向けられスラム街に置き去りにされたこともあったが、それでも好きなものは好きなのである。

 今回このプログラムに参加したのは、同じ参加者である友人からの勧めだった。国はベトナム、テーマは教育と貧困、ちょうど一人定員が余っている。これはもう、私を待っているのだ、と確信し、親に確認を取る前に応募フォームを書き始めた。「ベトナム行ってくる」と母親に言うと、「気をつけてね」との返事が来た。今回の国はベトナム。この国にはどんな衝撃が待ち構えているのだろうか、と胸が高鳴った。

 まず、一番最初に私に衝撃を与えたのは、バイクの交通量である。東南アジアは基本的にバイク社会であることは、他のアジア諸国に行った経験からなんとなく想像はできたが、ベトナムは桁違いであった。空から降り掛かる矢のごときバイクの数。道を渡るのは命がけだった。横断歩道を渡るだけで命がけというのもなんだか面白いが、 横断歩道の途中で躊躇しようもんなら、轢き殺されてしまいそうだった。私が一つ言えることは、ベトナムの横断歩道で大切なことは、1手をあげること、2左右確認、3タイミング、4度胸、である。下手に歩みを止めてはいけないのだ、下手な迷いは禁物、人生と同じである。現地の人は「ホーチミンは事故が多いけど、スピードを出さないから死亡事故は少ない」と言ってた。そういう問題ではない気がするが。実際に車とバイクの衝突事故を目の前で見てしまったことはトラウマであるが、何事もなかったかのようにバイクの運転手も車の運転手も会釈して走り去って行ったこともまたトラウマである。ベトナムでの都市鉄道の実現化が先遅れになっていることもベトナムに実際に来てみてよくわかった気がする。鉄道普及による渋滞の緩和、二酸化炭素排出などの環境問題へのアプローチがあるが、それだけでなく、バイクよりも鉄道が圧倒的に人々の暮らしを豊かにできる確信を具体的に国民に表示しなければ、これほどまでのバイク文化が浸透しているベトナムで、鉄道の革命がこの国にもたらせるメリットは少ないような気もした。

  次に、私が一番忘れられない体験となった、戦争証跡博物館について話す。
この博物館は、ベトナム戦争で実際に使用された戦車や大砲、爆弾などの戦争遺物、写真などを展示している。目を覆いたくなるような凄惨なパネルや、枯葉剤による被害状況の記録、ホルマリン漬けの奇形胎児などの展示は、戦争の傷跡を生々しく証明していた。私はこういった負の歴史を残した場所が、とても苦手である。その理由は、負の事実を目の当たりにして、心が重くなるからではない。正直に言うと、その逆で、負の歴史を目の当たりにした時に、もしも自分が何も感じなかったらどうしようと考えると怖いからである。 誰もが何かを感じ取れる場所で、私ひとりだけ変に冷めてしまったらどうしようと怖いのだ。しかし、私は逃げ出したくなるくらいの衝撃をこの博物館で受けた。惨すぎて目が離せられないような写真がたくさん展示されていた。ベトナム戦争の現実を受け止めるのには時間がかかった。学校の歴史の授業で見たことのある写真も展示されていた。学校の授業の時は何も感じなかった一枚だったが、ベトナムという地を知り、ベトナム人の優しさを知ってしまった後にその写真をみるとでは、こみ上げてくる思いが違う。私は記録として何枚か写真を撮りたかったが、写真を見つめることしかできなかった。記録には残せなかったが、記憶には生々しく残っている。これらの写真は信じたくない現実であるとともに、これが現実だと受け止めるにはあまりにも人間が怖すぎると感じた。プログラム中には孤児院にも行く機会があったのだが、そこにいる奇形児や障害を持った人々をみて、博物館での写真を思い返してしまい、心が締め付けられる思いになった。戦争の残した爪痕をリアルに感じた。このような場所に行くことは、向かうまでは憂うつだし、決して面白いことではないし、帰りもずっしり心が重くなる。それでも、知ることに意味があるんじゃないかと思う。知ることは大切、忘れないことは大切、語り継ぎ繰り返さないことが大切、未来に・子どもたちにつなげることが大切だと感じる。

 最後に、私はこのベトナムでのプログラムのリーダーだった。私は本当に何にもしないリーダーだったと思う。自分のできることは全てやったつもりだが、特に何もしてなかった。周りの参加者に度肝を抜かれ、ずっと見つめていたような気もする。自分が最年少だったこともあって、なめられないようにそれっぽく振舞ってみたが、終始周りの参加者に圧倒されていた。私は根っからの負けず嫌いなため、この二週間ずっと悔しい思いをしていた。みんなに刺激をもらっては、自分もそれに食いつこうと必死だった。私はずっとみなさんに引っ張っていってもらったように感じる。引っ張られるリーダー。リーダーとしては何もしていないのに、周りから数え切れないほどの刺激をもらった。本当に素晴らしいチームだったなあ、と感謝の気持ちで一杯である。ありがとうございました。

 私にとってこの2週間のベトナムでの異文化交流は、楽しいことだけではなく、様々なことに気づかせてくれた最高の機会だった。ベトナムという国を知れば知るほど学ぶことは多く、知れば知るほど国が抱える深刻な問題を肌で感じることもあった。
 また、人と人とのつながりを広げる上で、自分の意見をどのように主張すればいいのか、また、思わぬところで偏見や差別をしてしまわないように的確な知識を持つことがどれだけ大切なのかということを改めて学ぶことができた。
 そして、日本を恵まれた国だという指標を自分の中でつくってはいけないと感じた。幸せの指標は人によって異なるのだし、幸せだと感じる大きさも人それぞれであると私は思う。置かれた場所で咲くことのできている人間こそ豊かなのだと、今は亡き私の高校の時の校長先生が言っていた。今はよくこの言葉を理解することができる。こころの豊かさは、決して物の豊かさとは比例しない。これは私が確信を持って言えることである。最後に、人種、言語、宗教、価値観などの壁から一歩を踏み出すことによって得られるものは多い。ここでの出会いや学びを次に生かさないと勿体無い。これからも私らしくいろんなことへの興味や探究心を忘れないでいたい。

2018年10月7日日曜日

ベトナム VJEP 2018 報告書 (9)木間香苗 (筑波大学 社会・国際学群 国際総合学類3年)

「VJEP2018を振り返って 学んだこと」

筑波大学 社会・国際学群 国際総合学類3年
木間香苗

 
ホストマザーと彼女の英語教室に通う子どもたちと
   私にとって2週間海外に滞在することは初めての経験でした。また英語でのコミュニケーションに自信がない私にとって英語でベトナム人学生と寝食を共にし、“Poverty and Education”という特定課題に向き合うという2週間はまさにチャレンジでありました。私がこのプログラムへの参加を決めた理由はこのチャレンジを自分に課したかったためです。VJEP2018が学生交流のみを目標としたプログラムであったり、1日のうち限られた時間のみしか現地の学生と交流できないプログラムであったりしたら私は参加しなかったでしょう。プログラムは大成功に終わり、私自身も自分に課したチャレンジに精一杯取り組めたと感じており、夏期休暇をVJEPに捧げることができてよかったと思っています。

 振り返るとハードかつ充実した毎日でした。毎朝6時台に起き、身支度をし、午前中のプログラム会場に行きました。2週間のうち始めと終わりの5日間はホーチミンに、中盤の5日間はホーチミンからバスで3時間ほどのところに位置するビンフック省に滞在しました。ホーチミンでの移動にはほとんど「Grab」という配車サービスアプリで手配したタクシーを使いました。通常のタクシーより割安なのだとベトナム人学生に教えてもらいました。6人ほどで乗る車の中では車窓から見える観光スポットを教えてもらったり、ラジオから流れる日本の歌について話したり、自撮りアプリで遊んだり、ベトナム語や日本語を教え合ったりとさまざまなことをして過ごしました。プログラムが進むにつれ“Poverty and Education”についての調査やプレゼンの話をしつつも、仮眠をとることが増えてきました。私はこのホーチミン最初の疲労ピークを迎えていて、体調も気分も優れませんでした。そのためいつものように明るく振る舞えない場面があり、他の参加者に心配をかけて申し訳ないと感じると共に皆の優しさに感謝しました。
 5日間ホーチミンに滞在した後はビンフック省に移動しました。たくさんの大きなキャリーバッグと共に人数の割に小さすぎるバスに詰め込まれて数時間揺られたことは忘れられません。
 ビンフックで滞在した5日間はかけがえのない時間だったと感じています。人との出会いを楽しみ、貴重な経験をたくさんしました。今回のプログラムのコア部分でもある少数民族が暮らす集落でのインタビュー調査や、小学校でのオリジナル授業を行いました。 
   現地家庭にベトナム人学生とペアでホームステイすることは私が最も楽しみにしていて、一方で不安にも思っていたことのひとつでした。しかし、私の不安はすぐにどこかに吹き飛んでしまいました。ホストマザーは覚えたてのベトナム語でたどたどしく挨拶した私を笑顔で出迎えてくれました。彼女は学校と自宅で英語教師をしているため、幸いにも英語でコミュニケーションを取ることができました。彼女は私たちと会うことをとても楽しみにしていてくれたようです。クローゼットから次々とアオザイを出しては私に着せ、写真を撮ってくれました。アオザイを着ることに憧れていた私にとって幸せな時間でした。ホストマザーに家の奥にある部屋に行くよう言われて行ってみると、教室になっていました。彼女の英語教室に通う子どもたちが、日本人が来るということで集まってくれたようです。子どもたちに質問攻めにされながら、日本の文化やベトナムについて、それから好きな韓国人アイドルの話で盛り上がりました。
 しかし後悔したことがあります。子どもたちは日本についてたくさんのことを知っていて、私は驚きましたし嬉しく思いました。それなのに私はベトナムの言葉や文化などについて知っているか聞かれてもあまり答えられませんでした。そのことで「あなたの国に興味を持っていない」というメッセージとして子どもたちに伝わってしまったような気がしました。自分で決めてベトナムを訪れたのに、この国を理解しようとする気持ちが欠けていたことに気づかされ、子どもたちに対して申し訳ない気持ちになりました。
 その日はその後、リクエストに応えて浴衣に着替え、写真を撮るなどして楽しい時間を過ごしました。次の日も小学校での活動を終え家に帰ると子どもたちが待っていてくれ、中にはプレゼントを持ってきてくれた子どもたちもいて感激しました。日本の文化をさらに詳しく教える授業をしてほしいというリクエストにより意気込んで話したのですが、後になって少し後悔しました。ただ日本の話をするよりベトナムとの違いを踏まえた上で説明した方が、子どもたちもより心を開いて安心して聞いてくれるしわかりやすかったのではないかと。ホームステイ先での子どもたちとの出会いは、私が日本人であることに誇りを持たせてくれましたし、あたかも芸能人のように人気者気分にさせてくれました。同時に、英語でコミュニケーションは取れても、相手の国についての興味を示すことを欠かすと深い交流に辿り着くのが難しくなることを学ばせてくれました。

   ビンフック省のゲストハウスやホテルに滞在した数日間で、ベトナム人学生との心理的距離が一気に縮まりました。眠くなるまでゲームをしてそれぞれの秘密を暴露したり、表面上の付き合いだけでは知り得ないような本音の部分も打ち明けてくれたりしました。さらに日中の活動についての裏事情を教えてくれたりと話題に事欠かず非常に充実していました。彼らから見ると私たち日本人学生は恥ずかしがり屋に見えたそうで、もっと仲良くなりたいのに思うように話せないと悩んでいるベトナム人学生もいたようでした。それに比べるとベトナム人学生は非常にフレンドリーで自信に満ちていました。そしてプログラム期間中何度も驚かされたのが彼らはエネルギッシュでタフであるということです。とてもかっこよかったです。私たち日本メンバーとの温度差を感じることもありましたが、彼らからたくさんの愛を受け取りましたしたくさんの刺激をもらいました。私がプログラムをここまで楽しむことができたのは彼らがいてこそだと思っています。
 私は英語に自信がなく、日本語でコミュニケーションを取っている普段に比べると口数が少なかったし、“Poverty and Education”について議論している時も自分の考えをうまく伝えられず悔しい思いをしました。だからといって「改めて英語をもっと頑張らないといけないと思いました」という感想で終わりたくありません。このような感想を持つことは行く前からわかっていたからです。それよりも、プログラムで出会ったベトナム人学生やビンフック省の子どもたちや政府の関係者との交流を通じ、相手の国の言葉や文化に興味を持つこと、それを示すことで心を開いてくれるのだということを、身をもって学ぶことができました。これは私にとって大きな収穫だと思います。

 これらの学びは慣れない環境でたくさんの新しいことに一生懸命取り組んだからこそ得られたと思いますし、もがいたからこそ自分の成長を感じることができたのだと思います。多くの期間と労力を費やし、愛と熱意を持ってVJEP2018という学びと成長のフィールドを作ってくださったAAEE代表理事の関昭典先生をはじめ、日本・ベトナム両国の学生オーガナイザーに心から感謝しています。そして多くの時間を共有した両国の学生参加者のみんな、大好きです。このようなすばらしい人たちとVJEP2018の大成功に貢献できたことを誇りに思います。ありがとうございました。
ビンフック省のホテルで夜更けまで語った時

ベトナム VJEP 2018 報告書 (8) 河面雄樹(立教大学 観光学部年)

「挑戦」
立教大学観光学部年
 河面雄樹


 まず初めに、関昭典教授、望月千里氏、大瀬朝楓氏、ベトナムと日本からの参加者やこの事業に関わった全ての人、そして誰よりも、常に私を支えてくれる私の家族に、心から感謝の意を表したい。
 このVietnam-Japan Exchange Programは、私にとり挑戦の連続であった。全ての始まりは四月末、望月氏からの連絡から始まる。VJEPという日越交流事業があるのだけれども興味はないか、との一通。その時フィリピンでの一年間の留学を丁度終えようとしていた私は、喪失ともいえる達成感に駆られ、自分の依り代になる新たな目標を探しているところであった。なんという僥倖、そう思った私は即座に望月氏にこの事業の詳細を尋ねた。話を聞くと、日本とベトナムの学生間で文化的かつ学術的な交流をしようという趣旨の事業であるようだった。正に天啓だと確信した。留学を通し殊更に高まった東南アジアへの興味と、現状の自分はいかに学術的な英語を話せるのか試したいという欲求、この二つを叶えられるからだ。しかしながら、ここでこの事業最初の挑戦を強いられる。金が足りない。単純だが決定的な問題であった。いかにしてこの問題を乗り切ったかはただ一言。母よ、ありがとう。実を言うと私は、充分な持ち合わせがないままこの事業に応募してしまったのだった。そのような私に、是非もなし、と母は出資してくれた。最大限に感謝している。本当にありがとう。まあ母はこのような文字だらけの書き物を読むような性格ではないのだが。
 そのような艱難を(母が)乗り越えた矢先に、新たな挑戦に直面した。Research projectだ。VJEP内では、様々な企画を遂行する。Researchはその内の一つであり、ベトナムの僻地に赴きその地域がどれほど貧困にあえいでいるのかを調査しまとめ、いくつかの集団に分かれて成果を発表するという企画である。その企画の担当者に任命されたのである。ここで思い出してほしい、ベトナムは社会主義国家である。社会は平等であり、貧困は存在しないことになっている。ここに関しては議論が大いにあるだろうが、問題はこのVJEPが政府の全面協力の下に成り立っているということだ。あなたは貧困ですかと聞くことは、つまり政府に不満を持っていますかと役人の眼前で聞くことに同義なのだ。まさしく大挑戦であった。結果から言えば、この挑戦はこの時点では失敗に終わる。直接貧困を想像させるような質問をすることはできず、どれほど鄙びた場所に連れていかれるかも分からず、さらに調査する期間がわずか半日しかないのである。結局私は、事前準備を同じく担当者の備瀬氏と山戸氏に頼りきってしまい、碌に準備もできないまま出国してしまったのであった。正直に言えば、これほど大変であることを初めから知っていたならば、担当を言下に断っていたであろう。今振り返れば得難い経験ができたと声高に言えるが、当時は言わずもがな辟易していた。南無三。
 そのような木偶の坊にもベトナムは暖かかった。というよりも暑かった。独特の東南アジアのにおい(・・・)とともに三十度越えの気温で、ベトナムは我々を熱烈に歓迎してくれた。ベトナム側の参加者も皆気さくで、打ち解けるまでに幾日も掛からなかった。貧困と教育について各々の国側からの発表や、ベトナムの伝統陶芸の体験、ホーチミン市の観光を通じて、全員と親睦を深めていった。しかしながら、この事業を通して個人的二大挑戦の内の一つ目がここで立ちはだかる。学術的な議論を英語で行う機会が足りない。この事業に参加した最たる目的は、ベトナムの文化を知ることであったので、率直に言ってしまえば英語に固執する必要はなかった。だが、折角貧困と教育という表題まで掲げているのだから、そこに取り組まない道理もなかろう。そう思い立ち私は或る夜、ベトナムの参加者達が談話している中に突撃していった。大多数に立ち向かって話をするのがあまり得意ではない私にとって、これはよく言う、自分のComfort zoneから一歩踏み出した瞬間であった。素晴らしく有意義な夜であった。“社会が発展するには教育こそが必要なのである。何よりも教育に力を”、“その教育というものは洗脳とどう違うのか”、“貧困はこの世から本当に無くせるのか”、等々。各々が異なった意見を持っていれば、似通った意見を持つ場合もあり、勉強になることだらけであった。自分の取った行動に珍しく誇りを持った瞬間であった。ちなみにComfort zoneから一歩踏み出た状態をLearning zoneと言い、一歩どころではなく突き抜けてしまった状態をPanic zoneという。私の限られた英語力では、その晩に何度も突き抜けてしまうことになるのだが、その話はここでは割愛する。
 程なくしてホーチミン市から北におよそ百粁、ビンフオック省という場所に移動する。悠々自適、晴耕雨読という言葉はここで生まれたのではないかと紛うほど長閑な地域だ。その恩恵か、そこに暮らす人々も一人残らず暖かく、我々を家族の一員かのように迎え入れてくれた。ホームステイ先の父とは今でも偶に連絡を取る。彼には日本に滞在している息子がおり、近くその息子とも落ち合う予定だ。また、事業の中で小学校を訪れたのであるが、ここでも歓迎された。日本文化伝播の一環として、折り紙や書道を子供たちに教えたのだが、皆意欲と珠のような笑顔に溢れていた。教室外でも、溌剌と走り回る顔は皆笑顔だった。それに延々と付き合わされた私の笑顔は引きつっていた。迎えに来た親御さんの片言のアリガトウで疲れは全て吹き飛んだのではあるが。そのような平穏な空間の中でも私の心の奥は常に汲々としていた。この事業最大の挑戦である、Research projectが迫っていたからだ。まずこの企画の何が大変かをまとめる;調査対象の地域がどのような場所か分からないのでそもそも企画が成り立たない可能性がある、厳しい制約の中で何を質問すればいいか分からない、そもそもどのような返答がきたら貧困と認定できるのかさえ不明瞭。更に、調査対象地域の人々はベトナム語が話せないので政府の通訳が入るという事実が、調査前日に発覚する。匙を全力で振りかぶって投げる準備だけは万全であった。幸いなことに、常に大瀬氏が全面的に協力してくれたため、結果的にこの企画自体は辛うじて形にはなった。彼女には万謝の念しかない。企画について詳しいことを述べると文字が足らないので、ここには企画運営としての改善点のみを挙げる;ホーチミン経済大学の教授がしてくださった講義を調査発表に盛り込めるよう誘導すべきだった、事前に取った統計を調査発表にて図表等で盛り込めればよかった、そうするためにも事前統計の質問項目をより熟慮し有用なものにすべきだった(例えば最終的な調査発表が、貧困と幸せを結び付けているものならば、幸福度を測る質問を質問項目に加える。貧困と自由を結び付けるものならば、仕事や勉学以外の時間はあるのか、もしあれば何を何時間しているかという質問を加える等々)、要するに一番最後を見通して準備すべきだった。もし将来似たような企画を行う時があれば、この備忘録がその役に立つことを願う。他にも数えきれないほどの改善点があり、この大挑戦は失敗だったといえるかもしれない。しかしながら、自分が何を改善すべきか明確にできたという点では成功だったといえるのではないか。少なくとも何も学ばなかったよりかは得るものがあったはずだ。
 やはり挑戦の連続であった。挫折しそうなことも何度もあった。挫折したことは数度あった。艱難汝を玉にすと世間では言うが、艱難自体が自分を玉にするのではない。周りにいる人々が自分を助けてくれることで、艱難を乗り越えられ玉になれるのだと確信している。全ての人との出会いと支援に、末筆ながら再度感謝して筆を擱きたいと思う。長々と駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

追記
Bánh hạt điềuという、カシューナッツやシナモンから出来たクッキーがどうやらビンフオック省の名産のようなのだが、これを食べる機会がなかったことがこの事業唯一の心残りである。

2018年10月4日木曜日

ベトナム VJEP 2018 報告書 (7)宮澤亜弥 (上智大学 総合グローバル学部1年)

「AAEE VJEP ベトナムプログラム 報告書」

上智大学 総合グローバル学部 1年 
宮澤亜弥

 
私にとってベトナムへの渡航は人生2回目の海外経験だった。「大学生のうちにたくさん海外に行って英語を話せるようになりたい!」という思いと、東南アジアと貧困についての興味からこのプログラムに応募したが、プログラムの事前会議で留学、ボランティアなどの経験豊富な日本メンバーとの知識や英語力の大きな差を感じ、ベトナムに到着する前から正直なところ期待より不安の方が大きかった。ベトナムに到着直後、自身の英語への自信の無さから積極的にベトナム人参加者に話しかけることができずその不安は膨らんだ。しかし様々なアクティビティを一緒にこなし、2週間大変なスケジュールも一緒に乗り越えたことでかけがえのない友達ができ、振り返った今、このプログラムに参加して本当に良かったと心の底から思っている。この報告書では字数に限りがあるためVJEPに参加して感じたことを3つに絞って述べたいと思う。

 まず1つ目は、「異文化コミュニケーションにおいて大事なことは語学力だけではない」ということである。空港に到着したときにベトナム人参加者とのコミュニケーションについて大きな不安を感じた私は、常に笑顔でいることと失敗してもいいから積極的に会話をしようということを心に決めた。ベトナムについて気になったことはすぐに聞くように心がけた。そして慣れない土地で多くのスケジュールをこなすので多少疲れてはいたが、全てのアクティビティを全力で楽しんだ。またベトナム人参加者プレゼンテーションの場ではとても真面目なのだが、そうでない場ではジョークや楽しいことが大好きで意外と子供っぽいところがあるので私の性格と合うところがあり、お互いの国の面白い言葉を教えあったり、ふざけあったりした。それら全てのおかげか、とても仲良くなることができ、会話もより弾むようになったので、外国語で相手にどう伝えれば良いかということも学ぶことができた。それ以外にもビンフックでの3日間のホームステイでは、全く英語が通じないホストファミリーとバディーの通訳を通して会話をしていたのだが、バディーがいないところでも日本の着物とベトナムの民族衣装であるアオザイを見せ合ったり、夕食の手伝いをしたり会話はしなくても積極的に笑顔で関わったことで、最後には別れが悲しく、今でもSNSで連絡を取り合うほどホストファミリーと仲良くなることができた。これらの経験から、他の国で違う言語を話す人々と会話するために必要なものは語学力だけではなく、話したいという姿勢であり、語学はコミュニケーションを円滑し、よりシリアスな場面での会話をするための1つのツールなのだということを感じた。

 次に、「貧困」について述べようと思う。私は貧困地域への手助けなどに興味はあったが、貧困についての知識は少なく、ボランティアの経験もなかった。実際にビンフック省の貧困の家族にインタビューすることで、今まで知らなかった新しい発見や疑問が生じた。今回インタビューをさせていただいた3家庭はどれも6、7畳の大きさの部屋が1つと1つのベッドがあるといった感じであり、ベッドは硬い板の上に布を敷いたようなものであった。しかし周りには大きな家や車がある家もあり、村全体が貧困というよりも村の中で格差があるということが分かった。この地域を訪れる前は貧困地域とは地域全体が同じような小さな家に住んでいて、助け合っているイメージを持っていたが、私が見た感じではそれとは違い、貧困の形にも種類があるのかなと、調べてみたいと思うことが増えた。またこのリサーチでインタビューした人々は本当に辛そうで、インタビュー中に泣いてしまう人もいた。そのような中でもその家庭の子供達は明るく私たちに話しかけてくれ、とても楽しそうで、「この子たちが学校に行けず、自分たちの貧困を思い知って泣いてしまう日が来て欲しくない。」という思いが強く込み上げてきた。今回は直接的な手助けが出来なかったが、このような人々を少しでも早く減らせるようにどうしたら良いかを考えていきたいと思った。このリサーチプロジェクトは私の考えを変える大きなものとなった。

 最後に、私がこのVJEPに参加して1番良かったと思うことは、沢山の尊敬できる人たちと出会うことができ、2週間共に過ごせたことである。私はプログラムを通して、目の前のことをこなすのにいっぱいいっぱいであった。しかし他のメンバーはプレゼンテーションなどでまとめ役をしてくれたり、パフォーマンスをよりよくするために色々考えたり、相談に乗ってくれたり、自分の役割以外にも周りのことを見えていてすごいなと思った。特にそのことを実感したのはティーチングの日である。私は日本側のティーチングリーダーであったが、準備不足と対応力の低さで当日までバタバタしてしまい、当日の朝は不安でいっぱいだった。しかしアシスタントの方やメンバーは常に私のことを気にかけてくれ、その場で私がやって欲しいといったことをすぐにしてくれた。またベトナム語しか通じない子供達に教えている中タイムスケジュールで誤解が生じ、私は焦りでいっぱいであった。そんな時、ベトナムの参加者は空いた時間に子供達にゲームをさせ、臨機応変に動いてくれた。
 そしてなんとか無事に日本人側のティーチングが終わり、終わった安堵感とうまくいったのか分からない不安で私は泣いてしまった。その時に皆が「とても良かったよ。」「あみはベストを尽くしたよ!」とハグをしてくれた。そんな対応力と温かさを実感し、私もこんな人になりたいと思った。そして海外経験やボランティアなどの経験豊富な皆から色々な話や意見を聞くことで学ぶことは大きかった。心から尊敬でき、心から大好きだと思う人に出会え、今までで1番大きな経験をすることができたので、VJEPに参加して本当に良かった。ベトナムへ行かせてくれた家族、VJEPの参加者の1人に私を選んでくれた関先生、私たちが少しでもより楽しめるように考え、サポートしてくれたアシスタントやオーガナイザーの方々、一緒に協力し沢山の学びを与えてくれた参加者、そして私と関わり成長させてくれた全ての方々に感謝の気持ちを伝えたい。そしてこれからもVJEPのような経験を沢山していきたいと思う。

ベトナム VJEP 2018 報告書 (6)柳沢遼 (大阪大学 外国語学部外国語学科ペルシア語専攻3年)

挑戦!言語の壁!』

  大阪大学 外国語学部外国語学科ペルシア語専攻3回 
                                 柳沢 遼

「言語の壁」というものを感じたことがあるだろうか。
僕がそれを感じたのは、今回が初めてできっともうすぐ二回目がくる。
僕は大学で外国語学部に在籍している、にもかかわらず英語がすごく苦手だ。そのことは今回のベトナムでのプログラムに参加する以前、参加を考えた当初からわかっていたはずだった。甘かったと思い知ったのは初日にベトナムの参加者のみんなに会った時だった。
僕は事情があって日本人の仲間たちよりも半日以上早くベトナムについていた為、初日を誰とも日本語の通じない世界でやり過ごさなければならなかった。
一ヶ月やそこらの付け焼き刃の英語でベトナム人の参加者のみんなに自己紹介を終えたあとも、彼らはやや興奮気味に僕に多くを伝えようとしていた。しかし、何もわからない。「言語の壁」は遥か高くにそびえ立つかのように思えた。喋れないことが情けないし、恥ずかしい。正直自分のいわゆる「英語力」の無さに驚いていた。疲れもあって限界を感じた僕は休憩が欲しい旨を伝え、少しの間横になった。
横になりながらどうしたものかと悩んでいるうちにはっと気づいた。ベトナム人のメンバーは、男子は面白い人ばかりだし、なにより女の子はみんな可愛い。

「仲良くなれたらきっと最高に楽しい」

気づいてからはシンプルだった。
ただ話そうと頑張れば頑張るほどみんなが分かってくれる。努力を惜しまなければその姿を見てくれている人がいる。みんなの前でもちろん英語で発表するなど挑戦することをやめなかった。まもなくベトナムに到着した日本のメンバーの皆は英語でのコミュニケーションなど余裕といった表情に見えた。ラッキーだ。僕は日本のメンバーの皆が優秀であることを知っていたし、信頼もしていた。数えきれないほど力になってもらった。

多忙なスケジュールの中、気がつけば最終日、日本へ帰国する日になっていた。その頃も相変わらず残念な英語を喋っていたが、皆の投票で「The most humorous」な人に選んでもらったりもしていた。(喋れないのにユーモラスとはどういうことなのか)
またもや訳あって僕は日本のメンバーのみんなよりほぼ丸一日遅く帰国することになっていた。
つまり、初日と同じように日本人は僕だけという一日を再び過ごすことになっていたのだ。もっとも、ベトナム人の友達が沢山いたという違いはあったが。
昼食に行ったフォーのお店では友達とチャーシューと卵を交換し、その後のカフェではカフェラテの泡を口髭のようにつけたマヌケな僕の顔を彼らのインスタグラムによって公開された。
いろいろと買い物に付き合ってもらった後はイルミネーションが綺麗なレストランで晩御飯を食べながら、「またフォーかよ」とツッコミを入れていた。空港への帰り道は彼らが交代でバイクの後ろに乗せてくれた。
まるでベトナム人の大学生の一人になったようではないか。まるでこの時間がずっと続いていきそうではないか。

ここまで書いたことを読むと、ある超がつく程のポジティブ人間の成功体験記みたいにみえるが、実際はそうではない。
臆病で怖気付いてばかりの平凡な大学生がちょっとだけ無理をして頑張ってみた話である。まったくもって格好の良い話ではない。
「ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい」という浄土真宗の格言があるが、「言語の壁」にも当てはまりそうだ。どんなに高い「言語の壁」でも上を乗り越える以外に道はある。そんなことを実感させてくれたプログラムだった。

冒頭で僕が言語の壁を感じたのは今回のプログラムが一回目でもうすぐ二回目が来ると述べたが、実は僕はしばらくしたらある国への留学が決まっている。ベトナム以上に言語の壁は高い。正直なところ今から不安でいっぱいだが、その不安を超える自信を得られたと思っている。この経験はきっと大きい。
あれだけ膨大に組まれていたプログラムに全く触れずに締めようとしている僕は怒られてしまいそうだが、いつか僕のように英語が苦手な人に読んでもらえることを信じてここまでを僕からの報告書とさせて頂きます。

ベトナム VJEP 2018 報告書 (5)山戸映里佳 (筑波大学 社会・国際学群国際総合学類3年)

VJEPに参加して」

 筑波大学 社会・国際学群国際総合学類
 3年 山戸映里佳

 今回、感想文を書くにあたって、これまでのプログラムに参加してきた方々の感想を読んでいた。純粋に感じたことを書いている方、不可能に近いようなビジョンを描いている方、十人十色の感想文だったけどみんなプログラムと通して得たことが明確だった。自分にこんな素敵な感想文が書けるかわからないけど思ったことを素直に書いてみようと思う。
 自分がこのプログラムに参加した理由は「貧困と教育というテーマに大変興味を持ち、このテーマについて自分なりの考えを持ちたい。」以前に自己紹介文に書いた通りである。実際はそんなことではなく、長い夏休みの中で海外に行く機会を探していた所にこのプログラムがあったからなのだけれど。
 それでも、プログラム中に貧困と教育という2つのテーマについてはよく考える機会があった。私が教育のプレゼンテーションを私が担当したことも関係してのだろうが、、ベトナムの教育にも強い興味を持ち、ベトナムに参加者といろいろと話をした。最も印象に残っているのは、「私たちはもっとベトナムの政治や制度について学びたいけれど、政府は私たちにそうさせないようにしているの」という言葉だった。日本にいる私たちとは正反対だと感じた一方で、自分自身のことがすごく恥ずかしくなった。。日本の学生は世界的に見ても恵まれていて、自由も多い、情報も豊富に手に入る。なのに、なぜなぜ私たちは自分の国のことでさえ学ぼうとしないのだろう。日本の教育の問題なのか、それとももっと大きなくくりで見る問題なのか。いろんな疑問がぐるぐると頭の中に浮かんできた、解決策なんて浮かばなかったけれど。どちらにせよ私たちはもっと勉強しなければいけないと感じた。ベトナム戦争や、太平洋戦争の話もした、付け焼刃の知識だけど「日本は戦後こんな歴史があってね」と説明するととても興味深そうに聞いてくれた。日本について説明するなんて大げさなことではなかったけれど、それでも自分の口から言えたことは少しうれしかった。互いの国について言い合えることが楽しかった。


ビンフック省で行ったティーチングもとても興味深いものがあった。ベトナム側が用意したコンテンツが私にとっては独特に思えたからだ。あらかじめ画用紙に模様を描き子供たちがその模様に付け足しの絵を描いていくというとてもシンプルなものであったが、子供たちの独創性を引き出すとてもいい授業だった。子供同士のコミュニケーションも生まれる上に、ベトナム側の参加者がほめ上手で、子供たちはとても楽しそうだった。大げさかもしれないけれど。自己肯定感というのはこういうような活動を通して生まれてくるのかなと感じた。もし私が今後日本の子供たちに授業をする機会に恵まれるならば、このような発想を持てるようにしたい。
もう一つのテーマであった貧困。とても難しくてわからなかった部分がたくさんあったという感想しか出てこない。今までもいくつかの国で貧困に関する調査をしたことがあったけれど、社会主義の国ではなかったから、好き勝手に質問ができた。でも今回はそうはいかず、抽象的な質問で核心に迫らなければいけなかった。どんな質問がいいのか、どんな聞き方がいいのか、たくさん考えてみたけれど、明確に答えが出ることはなかった。もうちょっと長時間、できればその場に住んで彼らの生活を見てみたかったと感じた。ただ、このインタビューからプレゼンテーションという一連の流れを通じて、これまで私が抱いてきた「貧困」の定義やその解決については自分の考えに疑いを持つことができた。私はこれまで、貧困ではないこと、貧困から抜け出せることが幸せになることだと思っていた。しかし今回訪れた村ではみんな楽しそうに生活を送っているように見えた。インタビューでもすべての家庭が幸せだと評価していた。貧困だから不幸せ、ではないのだと感じた。そしてそれ以前に彼らが貧困であるかどうかももう一度考えてみなければいけないと思った。日本の都会に住んでいる私たちからすれば確かに彼らは貧困で不幸せそうに映るかもしれない。しかし、それはあくまで私たちの基準だ。先代から同じように生活してきた彼らにとってみれば「普通」なのかもしれない。それを外にいる人間が、貧困だと定義し生活を変えようと試みることは、多くの犠牲を生み出してしまうかもしれないと知った。「国際協力」という大学と学生が大好きな言葉の意味をよく考えなければいけないと思った。
ここまでたくさん書いてきたが、私にとって最も衝撃的だったのは、「貧困と教育」に関連した活動ではなかった。ベトナム人のライフスタイルと言語だった。基本的に英語でコミュニケーションをとっていたけれど、英語が何度言っても、通じないしわからない。これまでいろんな国に行って少しは英語も話せるだろうと思っていた自分の心はいとも簡単に傷ついた。ちょっとキレそうになったくらいだ。でもそれも、よく聞いていればもともとの発音の仕組みが私たちの習ってきたものと少し違うだけだったことに気付いた。気づいただけで、彼らとの英会話がスムーズにいったわけではないけれど、自分が今まで持っていた固定概念のようなものをすこし変えることができた。国が変われば価値観も慣習も変わる、自分が積み上げて生きたものは0にしなければいけない。そんな当たり前のようなことを初めてこんなにも強く感じることができた。
ここまで、全くまとまりのないことを書き続けてきたけれど、今回の渡航で、たくさん自問自答ができた。すべて、共に参加し、意見を交わした仲間たちがいたからだと思う。こんな私の2週間共に過ごしてくれて本当にありがとう。 おわり

  




ベトナム VJEP 2018 報告書 (4)田中彩恵 (筑波大学 社会・国際学群国際総合学類4年)

「ベトナムで失った自信と得た教訓」


筑波大学 社会・国際学群 国際総合学類
4年 田中彩恵

 「そうだ、ベトナムに行こう。」
私が今回のVJEP2018に参加しようと考えたきっかけは、就職活動中のこの思い付きであった。毎日都心に赴いては面接を受け、結果に一喜一憂し、自分に価値などあるのだろうか、と自分自身に問いかける日々は精神的にかなりきつい状況であった。そんな時に知ったのが、このVJEPのプログラムである。もともと興味のあった東南アジアに2週間滞在でき、なおかつ現地の学生とともに学ぶことができる。学生時代にしか経験できないことじゃないか!と思い、迷わず申し込んだ。
 プログラムに参加するに際して、私はある点に関して自信を持っていた。1つ目は、英語のレベルである。留学経験もあるため、ベトナム人との英語での会話は余裕でこなせると考えていた。2つ目は、東南アジアでの生活経験である。留学でタイに行っており、タイ人の学生と長く過ごしていたこともあるため、東南アジアでの生活や東南アジア人との交流には慣れているという自信があった。一方で、不安ももちろんあった。「貧困と教育」というテーマに関してである。正直言って、この分野は今までしっかり勉強したことがなかった。ほかの人よりも知識がない状態であることが懸念点であったが、これを機に知識を得られるであろうと考えていた。VJEPのプログラムにおいて、私のこの自信は崩れ去り、不安は的中した。
 実際ベトナムに行くと、ベトナム人学生の能力の高さに驚かされた。プレゼンテーションは上手であり、子供たちの相手もそつなくこなす。なかでも、英語での議論には圧倒された。
積極的に自分の意見を英語で伝える姿勢は、私の目にはかっこよく映った。一方の私は、日常会話はできるものの、議論は全くであった。そもそも意見すらしっかり持っていない。自分の意見があったとしても、英語で十分に伝えきれない。ないない尽くしであった。自分とベトナム人との能力の差を目の当たりにした私は、あきらめるのではなくその場でできる努力を行った。その1つは、まず自分の意見を持つこと。どちらでもいいではなく、自分の考えをはっきりさせるようにした。2つめには、周りが使っている英語表現や辞書を引かなくてもいいレベルの単語を使って自分の意見を伝えることである。難しく考えたり、文法に気を取られたりしてしまうと、本当に伝えたいことが伝わらないと感じたからだ。この2つの点に気を付けることで、ベトナム人学生とベトナムや日本の状況について深い会話をすることができた。
 さらに、ベトナム人のパワフルさも驚きであった。それは、東南アジア全体の活気を表すようなものであった。いつでもどんなところでも全力で楽しむ様子を見て、見習おうと思いともに行動したが、ついていけない面が多々あった。最終的には疲労困憊でほかのメンバーからも心配されるような有様となってしまっていた。やはり自分のペースを把握しておくことは、生活していくうえで重要であると感じるきっかけとなった。

 最後に、今回のプログラムのテーマである「貧困と教育」に関する学びについては、自分の中では不完全燃焼感があった。その原因として、自分の無知さがあげられる。そもそも一般的な貧困や教育に関する理論などを全く理解していなかった。ベトナムの大学での講義で知識を得る機会はあったが、それを自分に落とし込めたかというとそうではなかった。また、日本の貧困や教育についてはプレゼンテーションで発表したレベルでの知識しか持っておらず、ベトナムの状況との比較が困難な点があった。実際、Budang地域での貧困地区訪問や小学校でのTeachingでは、現地の貧困や教育がどの程度のレベルであるかの判断が難しかった。現地に行って状況を見れば、おのずとわかると思っていた私の考えの浅はかさを思い知った。
 VJEP2018に参加して、今までの自信が揺らいでしまったこともあったが、その分得られたこともあった。1つめは、英語での意見の伝え方である。英会話自体はもともとこなすことができたが、議論となると委縮してしまうことがあった。しかし自分の立場をはっきり表し、文法にとらわれずに伝えることで、より中身の濃い英語での議論ができることを知った。2つめは、自分のペースの把握についてである。「郷に入っては郷に従え」ということわざにもあるように、海外に行ったら現地の生活に合わせることが必要だ。しかし、私は東南アジアに何度も行ったことがあるという慣れから、過剰にベトナム人の生活に合わせようとしてしまったために、調子を悪くしてしまった。普段自分がどんなにアクティブだったとしても、自分のペースを把握し、アクセル全開にしすぎないよう調整することが大事であると思った。3つめは、事前に知識を入れておくことの大切さである。ひたすら経験を積むことも大事であるが、知識がないとその経験から学ぶことができない場合もあると知った。今まで、人よりも多くのさまざまな経験を積むことを目標として大学生活を過ごしてきた私にとっては、遅すぎる気付きであったのかもしれない。

 来年から社会人になる私にとって、VJEPは長期間海外で現地の学生と学ぶ最後の機会であった。そして、社会人になってからも役に立つ気づきや経験、知識を得ることができた。今後はこの学びを生かして、残りの学生生活を後悔のないものにしていきたいと考えている。