2018年10月4日木曜日

ベトナム VJEP 2018 報告書 (5)山戸映里佳 (筑波大学 社会・国際学群国際総合学類3年)

VJEPに参加して」

 筑波大学 社会・国際学群国際総合学類
 3年 山戸映里佳

 今回、感想文を書くにあたって、これまでのプログラムに参加してきた方々の感想を読んでいた。純粋に感じたことを書いている方、不可能に近いようなビジョンを描いている方、十人十色の感想文だったけどみんなプログラムと通して得たことが明確だった。自分にこんな素敵な感想文が書けるかわからないけど思ったことを素直に書いてみようと思う。
 自分がこのプログラムに参加した理由は「貧困と教育というテーマに大変興味を持ち、このテーマについて自分なりの考えを持ちたい。」以前に自己紹介文に書いた通りである。実際はそんなことではなく、長い夏休みの中で海外に行く機会を探していた所にこのプログラムがあったからなのだけれど。
 それでも、プログラム中に貧困と教育という2つのテーマについてはよく考える機会があった。私が教育のプレゼンテーションを私が担当したことも関係してのだろうが、、ベトナムの教育にも強い興味を持ち、ベトナムに参加者といろいろと話をした。最も印象に残っているのは、「私たちはもっとベトナムの政治や制度について学びたいけれど、政府は私たちにそうさせないようにしているの」という言葉だった。日本にいる私たちとは正反対だと感じた一方で、自分自身のことがすごく恥ずかしくなった。。日本の学生は世界的に見ても恵まれていて、自由も多い、情報も豊富に手に入る。なのに、なぜなぜ私たちは自分の国のことでさえ学ぼうとしないのだろう。日本の教育の問題なのか、それとももっと大きなくくりで見る問題なのか。いろんな疑問がぐるぐると頭の中に浮かんできた、解決策なんて浮かばなかったけれど。どちらにせよ私たちはもっと勉強しなければいけないと感じた。ベトナム戦争や、太平洋戦争の話もした、付け焼刃の知識だけど「日本は戦後こんな歴史があってね」と説明するととても興味深そうに聞いてくれた。日本について説明するなんて大げさなことではなかったけれど、それでも自分の口から言えたことは少しうれしかった。互いの国について言い合えることが楽しかった。


ビンフック省で行ったティーチングもとても興味深いものがあった。ベトナム側が用意したコンテンツが私にとっては独特に思えたからだ。あらかじめ画用紙に模様を描き子供たちがその模様に付け足しの絵を描いていくというとてもシンプルなものであったが、子供たちの独創性を引き出すとてもいい授業だった。子供同士のコミュニケーションも生まれる上に、ベトナム側の参加者がほめ上手で、子供たちはとても楽しそうだった。大げさかもしれないけれど。自己肯定感というのはこういうような活動を通して生まれてくるのかなと感じた。もし私が今後日本の子供たちに授業をする機会に恵まれるならば、このような発想を持てるようにしたい。
もう一つのテーマであった貧困。とても難しくてわからなかった部分がたくさんあったという感想しか出てこない。今までもいくつかの国で貧困に関する調査をしたことがあったけれど、社会主義の国ではなかったから、好き勝手に質問ができた。でも今回はそうはいかず、抽象的な質問で核心に迫らなければいけなかった。どんな質問がいいのか、どんな聞き方がいいのか、たくさん考えてみたけれど、明確に答えが出ることはなかった。もうちょっと長時間、できればその場に住んで彼らの生活を見てみたかったと感じた。ただ、このインタビューからプレゼンテーションという一連の流れを通じて、これまで私が抱いてきた「貧困」の定義やその解決については自分の考えに疑いを持つことができた。私はこれまで、貧困ではないこと、貧困から抜け出せることが幸せになることだと思っていた。しかし今回訪れた村ではみんな楽しそうに生活を送っているように見えた。インタビューでもすべての家庭が幸せだと評価していた。貧困だから不幸せ、ではないのだと感じた。そしてそれ以前に彼らが貧困であるかどうかももう一度考えてみなければいけないと思った。日本の都会に住んでいる私たちからすれば確かに彼らは貧困で不幸せそうに映るかもしれない。しかし、それはあくまで私たちの基準だ。先代から同じように生活してきた彼らにとってみれば「普通」なのかもしれない。それを外にいる人間が、貧困だと定義し生活を変えようと試みることは、多くの犠牲を生み出してしまうかもしれないと知った。「国際協力」という大学と学生が大好きな言葉の意味をよく考えなければいけないと思った。
ここまでたくさん書いてきたが、私にとって最も衝撃的だったのは、「貧困と教育」に関連した活動ではなかった。ベトナム人のライフスタイルと言語だった。基本的に英語でコミュニケーションをとっていたけれど、英語が何度言っても、通じないしわからない。これまでいろんな国に行って少しは英語も話せるだろうと思っていた自分の心はいとも簡単に傷ついた。ちょっとキレそうになったくらいだ。でもそれも、よく聞いていればもともとの発音の仕組みが私たちの習ってきたものと少し違うだけだったことに気付いた。気づいただけで、彼らとの英会話がスムーズにいったわけではないけれど、自分が今まで持っていた固定概念のようなものをすこし変えることができた。国が変われば価値観も慣習も変わる、自分が積み上げて生きたものは0にしなければいけない。そんな当たり前のようなことを初めてこんなにも強く感じることができた。
ここまで、全くまとまりのないことを書き続けてきたけれど、今回の渡航で、たくさん自問自答ができた。すべて、共に参加し、意見を交わした仲間たちがいたからだと思う。こんな私の2週間共に過ごしてくれて本当にありがとう。 おわり

  




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