『挑戦!言語の壁!』
大阪大学 外国語学部外国語学科ペルシア語専攻3回
柳沢 遼
「言語の壁」というものを感じたことがあるだろうか。
僕がそれを感じたのは、今回が初めてできっともうすぐ二回目がくる。
僕は大学で外国語学部に在籍している、にもかかわらず英語がすごく苦手だ。そのことは今回のベトナムでのプログラムに参加する以前、参加を考えた当初からわかっていたはずだった。甘かったと思い知ったのは初日にベトナムの参加者のみんなに会った時だった。
僕は事情があって日本人の仲間たちよりも半日以上早くベトナムについていた為、初日を誰とも日本語の通じない世界でやり過ごさなければならなかった。
一ヶ月やそこらの付け焼き刃の英語でベトナム人の参加者のみんなに自己紹介を終えたあとも、彼らはやや興奮気味に僕に多くを伝えようとしていた。しかし、何もわからない。「言語の壁」は遥か高くにそびえ立つかのように思えた。喋れないことが情けないし、恥ずかしい。正直自分のいわゆる「英語力」の無さに驚いていた。疲れもあって限界を感じた僕は休憩が欲しい旨を伝え、少しの間横になった。
横になりながらどうしたものかと悩んでいるうちにはっと気づいた。ベトナム人のメンバーは、男子は面白い人ばかりだし、なにより女の子はみんな可愛い。
「仲良くなれたらきっと最高に楽しい」
気づいてからはシンプルだった。
ただ話そうと頑張れば頑張るほどみんなが分かってくれる。努力を惜しまなければその姿を見てくれている人がいる。みんなの前でもちろん英語で発表するなど挑戦することをやめなかった。まもなくベトナムに到着した日本のメンバーの皆は英語でのコミュニケーションなど余裕といった表情に見えた。ラッキーだ。僕は日本のメンバーの皆が優秀であることを知っていたし、信頼もしていた。数えきれないほど力になってもらった。
多忙なスケジュールの中、気がつけば最終日、日本へ帰国する日になっていた。その頃も相変わらず残念な英語を喋っていたが、皆の投票で「The most humorous」な人に選んでもらったりもしていた。(喋れないのにユーモラスとはどういうことなのか)
またもや訳あって僕は日本のメンバーのみんなよりほぼ丸一日遅く帰国することになっていた。
つまり、初日と同じように日本人は僕だけという一日を再び過ごすことになっていたのだ。もっとも、ベトナム人の友達が沢山いたという違いはあったが。
昼食に行ったフォーのお店では友達とチャーシューと卵を交換し、その後のカフェではカフェラテの泡を口髭のようにつけたマヌケな僕の顔を彼らのインスタグラムによって公開された。
いろいろと買い物に付き合ってもらった後はイルミネーションが綺麗なレストランで晩御飯を食べながら、「またフォーかよ」とツッコミを入れていた。空港への帰り道は彼らが交代でバイクの後ろに乗せてくれた。
まるでベトナム人の大学生の一人になったようではないか。まるでこの時間がずっと続いていきそうではないか。
ここまで書いたことを読むと、ある超がつく程のポジティブ人間の成功体験記みたいにみえるが、実際はそうではない。
臆病で怖気付いてばかりの平凡な大学生がちょっとだけ無理をして頑張ってみた話である。まったくもって格好の良い話ではない。
「ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい」という浄土真宗の格言があるが、「言語の壁」にも当てはまりそうだ。どんなに高い「言語の壁」でも上を乗り越える以外に道はある。そんなことを実感させてくれたプログラムだった。
冒頭で僕が言語の壁を感じたのは今回のプログラムが一回目でもうすぐ二回目が来ると述べたが、実は僕はしばらくしたらある国への留学が決まっている。ベトナム以上に言語の壁は高い。正直なところ今から不安でいっぱいだが、その不安を超える自信を得られたと思っている。この経験はきっと大きい。
あれだけ膨大に組まれていたプログラムに全く触れずに締めようとしている僕は怒られてしまいそうだが、いつか僕のように英語が苦手な人に読んでもらえることを信じてここまでを僕からの報告書とさせて頂きます。
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