2016年11月9日水曜日

ネパール NJEP 2016 報告書 (7) 東未久(上智大学総合グローバル学部2年) 「私には何ができるのだろうか」

「私には何ができるのだろうか」

上智大学総合グローバル学部
                     総合グローバル学科2年                      東 未久



  はじめに、私は19年間生きていた中で、まだまだ知らない世界が広がって いるとしてもそれがどこまで続くのか、広さはどれくらいなのか全く想像がつかなかった。そんな小さな世界で生きてきた私にとって、今回のネパールは、 限りなく無限に世界を広げられ、綺麗なマイダン村の星空の下、同じ世界にこんなにも日常からかけ離れた素敵な世界が広がっているのかと心が踊り、身が 震えた。そんな15日間のネパールの旅を振り返るにあたり、私の心の中に強 く残ったことをこの場にて報告させてもらう。
  ネパールでは様々な場所に行ったが、中でも印象的だったのは、マイダン村であった。この場では語り尽くせないほどの、私にとっては衝撃的な世界がそこには広がっており、人々の生活、食事、学校、家、どれも実際に訪れてみなければ分からない想像もつかない世界であった。
 そんな土地で滞在をし始めて二日目、私たち日本人が鯉のぼりプロジェクトをしていた時ことである。絵の具の管理を担当し、屋外で手に絵の具をいっぱいつけていた私は、汚れた自分の手を見 つめ、「汚いから後で洗おう。」と考えていた。
 その時のこと、ふと私の手よりもはるかに小さな手が私の手の上に舞い降りてきてきた。そして私の名前を可愛い声で呼びながら、手を取り、その小さな手の小さな爪で私の手を掻きはじめたのである。少し痛くて、こそばゆい感覚に驚いたが、みるみるうちに私の手についた絵の具が取れていった。私の大きな 2 つの手に小さな手が8つもあり、取り合うように私の手を綺麗にしてくれ、反対に小さな爪には絵の具の汚れがついていく。私はされるがままその小さな手を見つめて、子供たち の手が動き回る感覚を感じていた。
  しばらくして小さな手の動きは止まり、私の手を撫でながら「beautiful」といって くれた。手を撫でられるという慣れない感覚にまたこそばかったが、青空の下、 私は自分の手を太陽の光にかざしてみた。ところどころに絵の具が残っており、 爪には土が詰まっている。日本では「洗ってきなさい」と言われる「汚い手」な のであろうが、子供たちが掻いてくれている感覚が抜けていない私の手は、普段の手よりもずっと綺麗に輝いて見えた。
  この子たちに私ができることは何であろうか。その時、初めて真剣に考え、答えを求めた。しかし、授業でも国際協力を学んできたはずなのに私にはすぐ思いつかなかった。国際協力というものは、私たち先進国といわれる国に住む人が途上国の人々に何かをしてあげるものだと考えていたが、今回のネパールでは、私が子ども達からしてもらってばかりであった。必ず何かをしてあげなければならないと強い思いに駆られたが、何をすべきなのか、何をしたらベス トなのか、全くわからなかった。もしかしたらそこに、正解はないのかもしれ ない。
  マイダン村から去った後、私のジーンズのポケットに子供たちにプレゼントとして持って行った風船が3枚渡しそびれて入っていた。もしこの風船 を渡せたら3人の子ども達に楽しみを与えられたかもしれない。しかし、渡しそびれた風船はその役目を果たせず、私のポケットの中でゴミとなってしまっ た。その3枚の風船をみて、私には何ができるのだろうか考え続けたが答えはそう簡単には見つかりそうになかった。だからこそ、私はこれからも学んでいかなければならないことがたくさんあり、学ぶことができ、考え続けられるのであろう。もしかしたら、そのことが子ども達の幸せを考える上で、国際協力 を学ぶ上で一番大切なものかもしれないと思った。 

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