「Mero Sathi Project 2019 報告書」
上智大学 1年 山口紗希
大学生のうちに沢山海外へ行き自分の視野を広げたいと考えていた私は、今年の春にこのプログラムに出会い、絶対に自分1人でネパールへ行くことはないだろうと思い参加を決意した。参加する前は、生活に慣れることができるか、しっかりとコミュニケーションが取れるのか、治安は大丈夫なのかなど、多くの不安を抱えていた。そして現地に行き活動していく中で、やはり多くの壁にぶつかり、強いカルチャーショックを受けた。ここまでのカルチャーショックを受けたことは今までの旅の中で初めてだった。日本での当たり前が日々壊されていき、本当に1日1日が濃ゆく、刺激的な毎日だった。
このプログラムで行なった活動の中でもっとも印象に残っている点が2つある。一つ目はシクレスでの生活である。ポカラからジープにのって、川や整備の行き届いていない細い道を約5時間かけて移動した。移動の途中で「ここで死んでしまうのではないだろうか。」と本気で思うほどあの移動は忘れられない。到着すると村の女性たちが歓迎の儀式を執り行ってくれた。テレビなどで、そのような村で歓迎の儀式等を見たことがあったが、実際に私自身が経験するのはもちろん初めてのことで、自分がその場にいることがなんだか不思議だった。
私たちが宿泊したゲストハウスにはwi-fiはなく、朝日と共に起床し、バケツに水を入れ自分達で洗濯物を洗い、どこへ移動するにしても全て徒歩で移動し、暗くなったら就寝するという昔にタイムスリップしたかのような生活を送っていた。朝からみんなで険しい道をハイキングし、ヒマラヤ山脈を初めて生で見た。酸欠状態で頭痛と吐き気がし、下山しようか迷ったが必死に登ったその先に見えたヒマラヤ山脈は決して言葉では表すことのできない絶景だった。村では「幸せ」についての調査をした。調査をしたほぼ全ての人々が「幸せである」と話していた。なぜ何にもない村での生活に彼らは満足しているのか、私は疑問に思った。その答えは、日々の「当たり前」に感謝し、現状に満足することができているからだと思う。余計なものは欲しがらず、自分たちの知恵を使い、横のつながりを大切に助け合いながら生きているからだと思う。私達が住む日本は先進国である。欲しいものは何でもすぐに手に入る。やりたいことは何だってやれる。しかしその生活に満足し幸せかと聞かれると、自信を持って「幸せである。」と答えることができる人は少ない気がする。人々はこの十分豊かな今に満足することができず、終わりの見えない欲求を満たそうともがいているように感じる。「心の豊かさ」が足りていないのだと強く感じた。村の人々と関わっていく中で、人間としていきていく上で最も大切な本当の意味での「豊かさ」ついて考えさせられた。
2つ目はポカラにあるシャムロックスクールでの平和活動である。私は高校1年生の時に「高校生平和大使」という役を務め、高校3年間核兵器のない平和な世界の実現のために平和活動に邁進していた。私が平和活動を始めようと思ったきっかけは、中学生の時にアメリカからの留学生と一緒に、長崎にある原爆資料館へ見学に行く機会があった。その際に原爆について様々な質問をされた。しかし私はその質問に答えることができなかった。もちろん言葉の壁もあったが、長崎で生まれ育ち、平和教育を長く受けてきたにも関わらず答えることができず、悔しい思いをし、自分の情けなさを感じた。その経験から、またしっかりと平和について学び、自分の口から世界に平和を発信できる人になりたいと思うようになった。そして、平和活動を通して得た知識や、原子爆弾の恐ろしさをネパールの若者に広めたいという思いで、原爆投下や平和な世界を実現するために何が必要で大切なのかというスピーチをさせていただいた。自分で持ち込んだ企画であったが、いざ準備を進めていくと不安でいっぱいになった。自分の拙い英語力で思いを伝えることができるのか、理解してくれるだろうか、そもそも興味を持ってくれるだろうか。そういった思いを抱きつつ、たくさんの方々に協力していただき準備を進めていった。当日実際にスピーチをすると、生徒の皆さんは真剣に耳を傾けてくれ、頷きながら聞いてくれた。その後、核兵器廃絶のための署名活動への参加を呼びかけたところ、ほとんど全ての生徒の皆さん、先生方が署名に協力してくれた。自分の発した言葉で平和について考えてくれ、理解してくれた、その時の光景はいまでも嬉しくて忘れない。平和活動を初めた時の「自分の口から世界に平和を発信できる人になりたい」という目標を達成することができ、自分の中で大きな自信に繋がった。またこの原爆のスピーチを、次世代を担う若者達に伝えることが出来たのも大きな成果である。
ネパールで過ごした2週間は毎日が本当に刺激的で、言葉では決して表すことの出来ない経験をした。メンバーのみんなに数え切れないほど助けてもらい、このプログラムを自分の中に吸収させた。プログラムを終え空港で別れる際には、お互いに涙を流した。それぐらいこの2週間は大変濃いものだった。赤の他人だった13人が、様々な経験を共にし、エスニシティや価値観を共有し、意見を交わし、お互いを理解し合い、見えない強い絆で結ばれた。この経験は今後自分の人生において一生の財産である。また一つ好きな国が増えた。より成長してまた将来13人のメンバーと会える日を楽しみにしている。
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