2019年10月14日月曜日

VJEP2019ベトナム―日本学生交流プログラム 報告書(7)太田萌香 (上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科2年)

「失敗したっていいじゃないか!失敗をバネにここからが本番だ!」
  
上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科 2年 太田萌香

 消してしまった。私はパソコンの画面をしばらく放心状態で眺めていた。なんのことかと言うと、この報告書を3000字ほど書き進めてゴールが見えてきたというところで何を間違えたのか文章を消してしまったのだ。一回も保存ボタンを押していなかったため復元は不可能だった。そう、私はこういう人間なのだ。一生懸命やっていてもどこが詰めが甘く抜けていて失敗をする。
 全部本当は心待ちにしていた。都会を感じさせる人混み、クーラーの効いた電車、聞き慣れた日本語、見慣れた景色、家までの帰り道。それなのにこれっぽっちも心が踊らなかった。自分でもびっくりするくらいに。雑踏をかきわけて歩くことに嫌気さえ感じ、電車内で流れる日本語のアナウンスにも心地よさを感じず、ガラガラと重たいスーツケースを引きながら私は家に帰った。そこは私の部屋があり家族がいて数多の設備が整っている。そう、何もかも完璧だった。でもその時不思議なことにわたしにはその完璧さが少し不気味に思えたのだ。日本にいれば何でも手に入る。物に溢れていて不便なことなどほとんどない。しかしまたあの平凡でつまらない日々が始まるのかと思うと既に嫌気がさしそうだ。いや、決してつまらない訳ではないのだ。大学サークルサークルサークルバイトバイト時々休憩。可もなく不可もない日々だ。しかし刺激的な何かが足りないのだ。まるでパズルの1ピースが欠けてしまったかのように。
 ここまでが私が帰国したその日にソファーに沈み、半分眠りながら書き留めたものだ。
この後の文章は帰国してから1ヶ月ほど経った日に書いている。何でも後回しにする悪い癖が報告書を即時に書くことを邪魔したから。でもそのお陰か前後の文章の内容が私の心境の変化を鋭く捉えている。
 私はもうこの日本での生活やサイクルに完全に慣れてしまった。帰国した直後は、トイレ、お風呂、食事、どれをとってみても何か違和感を感じとっていたのに。私はそれが悔しくて仕方がなかった。一ヶ月もしないうちに自分が今までの生活に余りにも単純に戻ってしまったから。海外での経験をただの楽しい思い出にすることは簡単だ。でもそれは誰にでもできる。私はVJEP2019で得た全ての経験、それは苦しいことのほうが多かったが、それらを無駄にしたくない。
 昔から引っ込み思案で安定を求める現状維持タイプ、新しい事に挑戦するのが苦手だった。そんな自分を変えようとこれまで幾度となくチャレンジはしてきたが、その時止まりで一定の時を過ぎると元の自分に戻ってしまう。自己肯定感も頗る低く、常に周りと比べて自分には何もない、と落ち込むばかり。ただ今回私の隣にはさらに重度の自己肯定感の低い女の子がいたのだが。詳細は彼女、望月みやびの報告書を読んでもらいたい。とにかく、私はいつも内に籠ってしまう。周りから見たらそうは見えないかもしれないが、私はそういう人間なのだ。
 ずっと前から英語を話す、ということに関して完全なる苦手意識を感じていた。読み書きリスニングは一定のレベルまでできるが、話すとなると話は別である。長年勉強しているのに英語が喋れないという日本人の典型的タイプである。ベトナムも日本も英語は母語ではない、外国語だというところに共通点がある。それにもかかわらずベトナム人参加者たちは類稀なる英語の運用能力を持っていた。
 それはある夜のミーティングでのことだ。アウトカム・プレゼンテーション(成果発表会)のついての全員で意見交換とした。しかし驚くべきことに、ベトナム人参加者たちが白熱した議論を交わす一方で私たち日本人参加者は誰も一言も発することができなかった。本当に一言も、である。私はただただ彼らの発する流暢な英語を聞き唖然としていた。日本人の入る余地などそこには1ミリもなかったのだ。正直に悔しいと思った。日本語ならば何かしら発言できていたのに、英語の能力不足のせいでそれができなかったから。ベトナム人メンバーと話しているときも単語が瞬時に出て来ず、思っていることを伝えられないことが多々あった。私は自分の英語力の低さを隠そうと何度も笑ってごまかした。それが良くないことだと重々承知の上で。私はプライドが傷つくのが怖かった。こんな自分にも一応プライドなんてものがあったのだなと失笑したくなる。英語力も愚か、周りと比べて何もない自分に嫌気がさし、わたしは自分が嫌いになった。
 7日目。ビンフック省にて現地の小学校を訪問し、環境に関する劇をやったり簡単な日本語を教えたりした。私はもともと子どもが好きだったため積極的に彼らとコミュニケーションを取ろうとした。英語はほとんど通じないため数少ない知っているベトナム語を駆使し、ジェスチャーと表情で伝えようとした。それが通じたのだろうか、次第に私の周りに子どもたちが集まってきた。女の子数名はわたしの側を離れようとせず、二本しかない私の腕は取り合いになっていた。教室では隣に座って!と言わんばかりに手を引かれ工作を一緒にやることになった。気がついたら、わたしと彼女たちは仲良くなっていたようだ。
 しかし出会いには別れが付き物だ。小学校を去らなければならない時間になり、子どもたちと私たちはそれぞれ一列に並んで向かい合った。よーい、ドン!でハグしたい人のところに行ってね、と政府関係者が子どもたちにアナウンスをする。彼女たちは少し離れた場所にいた私のことを見て、今か今かと走り出す準備をしていた。よーい、ドン!私の胸をめがけて彼女たちは全速力で飛び込んできた。くっついて離れない彼女たちの表情を伺おうと覗き込む。え?!そう、彼女たちは私の胸に顔をうずめてシクシクと泣いていた。あの時の彼女たちの涙が嘘ではないことを私は何故か確信している。私は驚いてしまった。わずか短時間のうちに自分が彼女たちにとってそれほどの存在になれていたことが、ひたすらに嬉しかった。これだけなら、異国の地での子ども達との交流の別れ際によくある話だと思われるかもしれない。しかし、さらに驚くべきことが起きたのだ。
特に私と仲良くしてくれた女の子二人
 
ハグした後、顔をうずめて泣き止まない女の子たち

 事情を話すと長くなるので割愛するが、その翌日から私は体調を崩して寝込んでいた。その2日後、ベッドで天井を見つめていると、突然ベトナムの学生オーガナイザーがやって来て「もえかに会いたがっている子がいる」といった。心当たりがなく戸惑っていたが、扉を開けて入ってきたのは、なんと小学校で涙の別れをしたあの彼女たちだった。あっけにとられて口をポカンと開けてしまった。ひたすら驚いている私をよそに、彼女たちは「熱があるの?大丈夫?」とジェスチャーで伝え、これあげる、と何か渡してくれた。見ると工作で習ったペットボトルを使った可愛い物入れ、キャンディーを詰めた箱だった。なんて愛おしいんだろう、そう思った。こんな私のためにわざわざプレゼントを作り探し訪ねてくれるなんて。決してその場限りの交流ではなかったのだ。そして同時に私の存在が彼女たちの記憶に残っていたことが涙が出るほど嬉しかった。この瞬間、周りと比べて何もないと思っていた自分にも、子どもに好かれる、という一面があることを知った。そしてそれは私が何もしていなくて手に入れたものではなく、積極的に彼らとコミュニケーションを取ろうとした結果生じたことであると気づいた。いつも内に籠ってしまう私が自ら動き外に出れた。大嫌いな自分を少しだけ好きになれた瞬間だった。

(寝込んでいた私を探してきてくれた時の写真。
手に持っているのがもらったプレゼント)

 今回のプログラムで私はたくさん失敗した。英語は最後まで上手く喋れなかったし体調を崩してメンタルもぐちゃぐちゃになった。正直、もっともっとベトナム人メンバーと深い話がしたかった。思い返せば私は表面的な会話しかしていなかった、いや、できなかったのだ。私は決意した。「英語ができないならやるしかない!」関大先生がそう仰ったように。いつまでも逃げているのは楽だ。でも人間楽なほうに流れてしまってはできないことができるようにならない。
 消してしまったってもう一度始めからやり直せばいい。復元は不可能だけど、やり直しはきく。傷つくのが怖くて失敗を隠す必要なんてない。人生は一度きりだ、失敗したっていいじゃないか。上書き保存の連続の人生なんて代り映えがしないしつまらないと思わないか?わたしはもう、失敗を隠さない。失敗をバネに、ここからが本番だ。

あとがき
 本当はたくさん書きたいことがありました。でも全てを書くと何十ページにもなってしまいそうなのでひとまず私の心の中に留めておくことにします。それくらい濃い、あまりにも濃い15日間でした。ただ一つだけ。体調を崩し国境警備隊の人におんぶされて医務室に運ばれた日本人は私が最初で最後でしょう。これについてもいつか話す機会があったらいいなと思っております。最後に、このプログラムに携わってくださった全ての方々に感謝いたします。ありがとうございました。

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