2019年10月1日火曜日

ネパールMero Sathi Project 2019 8月プログラム 報告書(1)小林幹直(慶應義塾大学文学部2年)



「価値観」

慶應義塾大学文学部2年 小林幹直


    世の中の幾らかの人間が「自分と他者をルックスやお金など目に見えるものではなく、幸せなどの抽象的なものにおいて比較をしてください。」と言われた時に「他人とは価値観が違うから比較できない。」と答える。事実、AAEEのアンケート結果からも分かる通りほぼ100%と言っていいほどの人間がそんな答え方をする。まるでそう答えることが絶対的大正解、模範解答であると言わんばかりの勢いで。私はよく聞く「価値観は一人一人違う」という考え方に違和感を抱いていた。というのも、価値観というものは何かちょっとした出来事によって簡単に変化してしまう(よく新しい経験をした人たちがほとんど例外もなく『○行って、○○して、価値観変わった!』などと言うように)軸のとても弱いものであるからだ。そんなフラフラなものにも関わらず、「価値観は人それぞれ絶対的に違う。」という人々のそれに対する強い信仰心、その“価値観”になんとも言えない気持ち悪さを感じていた。「あなたは他人よりも幸せだと思いますか。」「幸せは他人と比べられると思いますか。」という問いに対し、大多数が口を揃えて「他人とは価値観が違う。」「他人は他人。自分は自分。」そう答える。価値観価値観と他者との比較を拒むことは本当に正しい考え方なのか。
一方で私自身、価値観に関しては全員違うものを持っているとは思っておらず、あるものに関して同じ価値観を持つ人間は確かに存在し、たとえ持っている価値観に違いがあろうとも、抽象的内容の比較も可能であると思う。私個人としては、しばしば心の中で幸福度を他人と比較したりもする。どちらの考え方が正しいのかそんな葛藤、モヤモヤした気持ちへの答えはネパールで得ることができた。シクレスという村のある男性が「幸せは他人と比較できるか」という質問に対して答えたのは「できる。実際幸せを他人と比べている節はある。お金や教育に関して比較をし、その結果自分が他人と比べて幸せかどうかを判断してしまっていると思う。」ということであった。加えて、「また、他に、例えば家族の仲の良さなどを比較して、それに基づいて私の方が幸せであるなんて考えることもある。それを活力に多くの面で努力をしてさらに幸せを感じようとも思う。」とも言っていた。これはまさに私の考え方と共通していた。彼だけではなく幸せは比べられると回答をする人にわずかではあったが出会った。
 老人ホームで幸せに関するインタビューを行った際には初めての経験をすることができた。それは最後に日本メンバー、ネパールメンバーそれぞれがダンスを披露した時のことである。老人ホームの人たち全員が幸せそうな笑顔で我々を見て同時に手拍子をしてくれたのである。それにより、やはりダンスや音楽は言語の壁を取り払って人に幸せを与える力を持っていると心から感じた。さらにその後みんなで音楽に合わせて踊ろうということになり、年齢、言語、性別の壁を取り払って歌いながら楽しく笑顔で踊った。この時私はとても幸せを感じることができたし、私だけでなくその場にいた全ての人間が幸福感を感じられたのではないかと思う。この時一瞬ではあったかもしれないが、ダンスは偉大であるというような価値観を多くの人間が共有できたのではなかろうか。言葉によるコミュニケーションの情報収集だけでなく、ダンスを通じて、実際に肌で、肉体で感じることができたのだ。
個人的にさらに幸せを強く感じることができたのは、大勢が揃ってダンスをしている時に中心で楽しそうにダンスをしていたある女性の姿を見た時である。彼女はその前のインタビュー中に少しコミュニケーションを取った方で、耳が不自由な方である。音楽は聞こえていないはずだが、誰よりも大きく楽しそうに踊る彼女の姿を見た時、ダンスは年齢、言語、性別だけでなく音楽すらも乗り越えて人を笑顔にしてしまうことに気付かされた。彼女と言葉によるインタビューはできなかったが、その笑顔から幸せであること、生活に満足していることを良く理解できた。その女性とはたった数分ではあったがとても有意義な時間を過ごさせてもらい、多くのことを学び、最後には一緒に写真も撮らせていただいた。私にとってそれはとても深く鮮明な思い出として強く心に刻まれた。彼女に限ったことではなく、老人ホームの彼らはとてもとても大きな声で笑い、とてもとても大きな笑顔を浮かべる。それを1日だけではあったが見させてもらって、もしかしたら彼らは私よりも強く幸せを感じているのではないかと考えたほど充実度合いを感じる空間であった。
 今回の老人ホーム訪問や村の家庭訪問などのおかげで新しいものを多く得ることができた。その中で自分にとっての1番の収穫は、何事においても比較することは悪ではなく、自分自身の何らかの成長につながる可能性があるということだ。おそらくこれが自分の中でモヤモヤしていた気持ちの正体だったのであろう。「他人との比較は無駄だからするな。」と一概に否定することはできない、むしろ比較は活力になりうるものだ。プログラムが終了した今はそう感じる。
一方で、1つ注意しておきたいのは、比較をするからといってその人たちが不幸せと感じていたわけではなく、幸せは他人と比較できると思いますかという問いに対して否定する人も肯定する人も各々の現状には満足していた。アンケートの結果からほぼ全ての人間が現状を幸せと感じていることは確かであった。そこで私なりに出した答えは、「他人と物質的なもの(お金など)を比較して自分の幸福度に関して少し凹んだり、考え込んだりしても、実際のところ多くの人間が自分は幸せであると感じることはでき、最終的に行き着く気持ち、精神状態は一緒である。」ということだ。よって、比較すること、比較を避けること、どちらも否定することはできない。それこそまさに“価値観の違い”であるのではなかろうか?これはおそらく普段の生活では獲得できなかった考え方であろう。ネパールでの2週間は、幸せ、物事に対する私の“脆弱な価値観”をガラッと変えた。

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