2019年10月14日月曜日

VJEP2019ベトナム―日本学生交流プログラム 報告書(6)佐久間彩果 (上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科3年)

「等身大の自分」

上智大学 総合グローバル学部総合グローバル学科3年 佐久間彩果



 滞在していたホテルのシャワーの蛇口に赤い印と青い印が右左についていた。私は迷わず赤い印の方に蛇口をひねりお湯になるのを待ったが、いくら待っても冷水のまま。仕方なく冷水のままシャワーを浴び終えた。しかし次の日同室だったベトナム人に青い方にひねるとお湯が出ると教えられ、私は半信半疑のまま青い方にひねってみた。お湯が出た。意味不明であった。これは文化の違いではなくただのホテル側のミスだが、このような「意味不明」な出来事は2週間のうちに私の中で止め処なく訪れた。
 本来ならばこのような場面に遭遇したとき、つまり心が動くような出来事に遭遇したとき、「面白い」や「悲しい」など様々な感情に変化するはずだ。持論であるが、外国に行く際は特に感覚に鋭利であるべきで、機微がなくなれば国際交流プログラムの参加者として終わりであると考えている。芽生えた感情から新たな発見や学び、持っていなかった視座の獲得に繋がると考えるためだ。しかし私には当時このような出来事に動転したり、楽しむ心の余裕がなかった。ポジティブでもネガティヴでもなく「意味不明」で止まってしまっていた。もちろん嬉しい瞬間も辛い瞬間も私なりにあったので感情がなかった訳ではない。しかし当時明らかに私の感情の沸点はどこまでも高く、心の感度はひどく鈍っていた。当然自身の状態に焦ったが、はまってしまったこの状態からプログラム期間中打破することはついにできなかった。
 「私はVJEPから何を学んだのだろう?」帰国後私はVJEPに参加した意味を必死に考えていた。今報告書は私の絶望体験の意味付けを行うことに主眼を置こうと思う。この作業を行わない限り、今回の経験はただの挫折で終わってしまう。絶望体験を希望に変えていくためにまず挫折を認める。プログラムの閉会式で先生は「大変だったプログラムを生き抜いてくれてありがとう」と私たち参加者に言葉をくださった。生き残るという動詞一つで2週間の日々の過酷さがあまりに上手く、シンプルに表現されており私は思わず笑ってしまったのだが、私は今のところただ生き抜いただけなのだ。決して自己成長などしていないし、プログラムへの貢献度はゼロだ。殻から出られないまま、何も乗り越えないまま、ただ圧倒され、縮こまり、その場をやり過ごしただけの2週間。まず序盤にAAEE学生アシスタントの仕事を諦め、その後小さな挫折をたくさん繰り返すうちに「意味不明病」発症。参加者としてVJEPを全うすることすらできなかった。
 そもそも私はこのプログラムに何を求めていたのか。VJEPを通して何を知りたかったのか、周りがインターンシップに参加する中なぜVJEPへの参加を決めたのか。ベトナムは学問的関心が高かったわけでもなければ、環境は全く興味のない分野であった。というより「ベトナム」に関しても「環境」に関しても無知だった。そんな私がこのプログラムに参加した1番の理由は新しい自分に出会いたかったからだと思う。プログラムに参加すれば自己成長できると期待していた。この考えには根拠があるつもりだった。過去の人生を振り返ったとき、自分が大きく成長できた経験やターニングポイントとなった経験は全て外国が舞台だったからだ。ではなぜ今回挫折で終わったのか、いつもより気合いや覚悟が甘かったのだろうか? 致命的に甘かった。きっとそれが理由の全てだ。長々と反省したわりに理由が合わないが、単純明快に私の覚悟が甘かったのだろう。「はじめはいつも戦闘モードで緊張しているけど結果的に毎回何か得られているし、今回もなんだかんだ楽しめるはず」そんな楽天的な考えがあったのを思い出した。「何か得なくては」という義務感や自分への適度なプレッシャーが欠けていた。その結果絶望体験へと繋がった。しかし一番の問題はプログラム期間中挫折に気づきながらも自分の殻を破れなかったこと、縮こまり身動きを取らなかったこと、つまり打ち勝つ勇気を出せなかったことにある。 自分とは反対に他の参加者は私と同様に序盤は辛そうでも、アクティビティに責任を持って積極的に取り組み、交流に励み、よく怒って、よく泣いて、よく悩んで、よく笑って、最後は達成感に満ちた表情をしっかりしていた。特にベトナム人参加者は、おふざけのプロで、ディベートのプロで、プレゼンのプロ。いうまでもなく英語も完璧で、とにかくプロフェッショナルだった。周りが眩しかった。
 以上に述べてきたように、今回私は自己成長を果たせず、学びや素晴らしい出会いはあったものの新たな自分に出会うことはできずに終わった。全て自己責任である。しかし、今回の経験は「等身大の自分を知ること」に繋がったと思っている。自分の弱さと向き合い続けた2週間。自分の弱さと向き合い続けることなど日常生活ではなかなかしないことだが、今回は背くに背けない環境だった。それと同時に、自分の弱みを見つけることが簡単にできる私は他人の強みや長所を見つけることに長けていることも知れた。弱さを知ったのか、長所を知ったのかどちらを言いたいのか分からないが、何れにせよ、等身大の自分を知ることは今後の日々の生活を地に足をつけ歩んでいくための必要条件ではないだろうか。自分を知っているひとは選択を間違えにくい。
 「等身大の自分を知る」低レベルな吸収かもしれないが、これが今回私がVJEPに参加した意味なのかもしれない。自分の「強み・弱み・好き・嫌い・得意・苦手」を知っている大人になるための必要なプロセスだったと思い、今回の経験を絶望ではなく希望体験として保存したいと思う。

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