2019年10月9日水曜日

VJEP2019ベトナム―日本学生交流プログラム 報告書(2)山下唯(筑波大学国際総合学類1年)

「VJEP 2019 報告書」
       
       筑波大学 
社会・国際学群国際総合学類 1年 山下唯

 正直に告白します。私はこの報告書にこの夏一番悩まされました。春学期中のどのレポート課題よりも私を悩ませました。報告書を書くにあたって私が悩んだ主たる原因は、プログラムの内容の濃さにあります。最初のアイスブレーキングから始まり、寺社訪問、オープニングセレモニー、国境警備隊との交流、高校生との交流、小学生との交流、さらには登山まで…。その一つ一つが「異文化学生交流プログラム」としての性格を失わず、本当によく作りこまれたものだと感心します。といった感じで、プログラム期間中の毎日が新しい発見とその衝撃に満ちていて、その全てについて個々を掘り下げると字数がいくらあっても足りません。そこで、個々の出来事について気づいたことを客観的に書くことはまた機会をあらためて、この報告書ではプログラム中に私が一貫して抱いていた主観的な思いをお伝えします。

(Cultural Fashion Showにて 中央:山下ドラえもんver.)

 正直に告白します。私はこのVJEP 2019というプログラムにこの夏一番苦しめられました。私が味わったのは異文化間コミュニケーションの難しさからくる苦しみです。何よりも先んじて挙げられるのは言うまでもなく「言葉の壁」です。ベトナムのエリート学生である彼らは表現が豊かで訛りも少なくとてもきれいな英語を流ちょうに話します。対する私は、伝えたいことを話せるだけの英語表現がすぐに出てこなくて、会話がスムーズに進まない。あるいは伝えること自体を諦めてしまうということもしばしばありました。さらに、異文化であるゆえのコミュニケーション上のストレスも原因していました。例えば、何か突っ込んだ質問をしようとするときに「この質問は彼らの社会や文化規範のなかではタブーなのではないか」などと余計な心配が頭をよぎったり、あるいは彼らの会話のペースに完全に飲まれて受け手に回ってしまったりもしました。
こんな調子ですから、うわべだけの会話を繰り返すことになり、深い対話など生まれようもありませんでした。「仲良く」なることはできても、その先がなかったのです。

 何か異質なものに出会ったとき、人はそれについてもっと深く知りたいと感じるものです。私のベトナムとの出会いは高校の世界史学習でした。王国・帝国の時代からホーチミンの社会主義国建国までのベトナム史に、日本の教科書で教育を受けた高校生なりにロマンを感じました。ホーチミンの建国を経てそして今、社会主義はどう受け止められているのか、ホーチミンという人物はどう受け止められているのか、教育では歴史をどう教わるのか、日本の教育との差はあるか、地域間で文化はどう違うか、多民族国家としての意識はあるか、ベトナム戦争への意識はどうか、平和に対する思いは…。日本からの出国前、ベトナムの学生に聞きたいことは山ほどありました。その一部は、会話の中で何とか尋ねることはできましたが、本当に知りたかったことを知ることができなかったことが悔やまれてなりません。 

 私が本当に知りたかったのは、「歴史教育のあり方」のような一般的なものではなく、「ベトナム学生の参加者個人が、ベトナムという国・地域・社会・文化の中でこれまでどう生きてきて、これからをどう生きていくのか」という彼ら個人に対する興味でした。彼ら自身を深く知りたいと2週間思い続けていました。しかし、もちろん上に述べたような定型文を問いかければいいというものではありません。深い対話のなかで徐々に分かっていくものだと思います。そしてその対話の土台となるはずの英語運用能力が圧倒的に足りなかった。そういった思いから、ベトナムからの帰国直前、空港で私は胃のよじれるような後悔に襲われ、叫びたい気持ちでいました。

 その帰国直前、トァンから一つのギフトをもらいました。トァンというのは、プログラム期間中2週間、私をずっと支えてくれたベトナム学生参加者の男の子で、私と同い年です。彼は、たどたどしい私の英語にとても丁寧に応えてくれる優しい青年です。私と話すときには、話すスピードを遅くするだけではなく、語彙も簡単なものを選びながら話してくれるのです。そのトァンがくれたギフトとは、「明日は何が起こってもおかしくない」という言葉でした。それは彼が彼の父親からよく言われた言葉だそうで、そばで泣きそうになっている私をなだめながら、いつも通りの優しい口調でそのエピソードを聞かせてくれました。最後に少しだけ彼自身について知れた気がして、感動が胸をあふれんばかりでした。彼は私のVJEP 2019の最後に相応しい最高のギフトをくれました。

(中央の黄色いシャツがトァン)

 感動とともにひとつの決意が芽生えました。次に来るときはお互いについてもっと深く語り合えるように、と。そのためにはまずは英語力です。どれほど高尚な意志を持っていても能力が欠けていれば無力感を味わうことになるという、言ってしまえば当たり前のことを今回のプログラムを通して嫌というほど痛感しました。もう同じ思いは味わいたくない。別れの悲しみと後悔、感動、決意、様々な感情が入り混じった複雑な思いを乗せて、飛行機は東の空へ。

 これで終わらせません。本当の戦いはこれからです。


 最後になりますが、素晴らしいプログラムに参加させてくださった関先生、ならびに企画・運営に心血を注いでくださったオーガナイザーの方々、ビンフック省およびホーチミン経済大学の関係者の方々、そして共にプログラムに参加した両国の学生参加者に感謝の気持ちを述べたいと思います。本当にありがとうございました。そして、このプログラムで出会ったすべての人のこれからの幸せを心から願っています。

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[OMAKE]
帰国後の手記
8月30日
 日本へ帰る飛行機に乗った。飛行機は好きだ。混沌とした下界を上から俯瞰しながら物思いにふけるのが、普段の僕の個人的な楽しみ方だ。だが今日は普段とは少し違っている。この2週間の体験とそれらをめぐるさまざまな思いが頭の中をグルグルとうごめいていて、とても景色を楽しむ余裕はない。忘れないうちにそれらを言葉に整理しておこうとキーボードをたたくが、うまくまとまらない。報告書の作成は骨が折れそうだ。
8月31日
 帰国。久しぶりの我が家。軽い朝食をすませたあと、緑茶をすすりながら物思いにふける。ベトナムでは朝から晩までそばに誰かがいた。一人だけの静かな空間はやはり落ち着くし、性に合う。だが人といることに心も体も慣れてしまったのか、ふとした隙に孤独が胸を突く。一人暮らしに8畳間は少し広すぎるみたいだ。

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