2017年10月2日月曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (2) 岡山千紗(上智大学神学部1年)「宗教と文化の視点からの考察」

Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(2)
「宗教と文化の視点からの考察」

上智大学神学部1年
岡山千紗

 今回、Mero Sathiプロジェクトを通して沢山のことを肌で吸収しました。その中でもネパールで一番日本との違いを感じたことは、宗教に対する認識でした。人々が宗教と共に生きることに対してある種の誇りを抱いていることが伝わる場面に何回も遭遇することができました。また、「文化」というつかみどころのない概念にとらわれている自分自身を見つめなおすことができました。今回の報告書では、「宗教」と「文化」の二点の視点から私なりに今回のプロジェクトを考察したいとおもいます。
1)宗教と共に生きる
 はじめに「宗教」をネパールで感じたのは、ネパール人メンバーと食事を共にしたときでした。食事を頼む際に、隣に座ったネパール人メンバーが「今日、ベジタリアンの人~?」とメンバーに呼び掛けているのを聞いたときに、確かにヒンディー教やイスラーム教、仏教のメンバーがいるのは当たり前だと納得すると同時に、少しの違和感を覚えました。それは、「今日」という言葉に対するものでした。私のヒンディー教やイスラーム教、仏教に対する理解は、「豚肉や獣肉を食べてはいけない。また、殺生を嫌う。」というものでした。それは、とても教科書的なものであり、現実は少し違いました。ヒンディー教のネパール人メンバーの女の子は、火曜日と木曜日はベジタリアンの日として親などによって決められた訳ではなく、自らの信仰に基づいた意思で決めたそうです。
 日本では、宗教と共に生きることは人生をかけたとても大きな決断であるように感じますが、彼らにとっては宗教なしで生きることは想像がつかないことである様子でした。特定の宗教を信仰していない旨や、現在神学部でキリスト教について学んでいることを伝えると、どんな内容を学んでいるのか興味津津で沢山の質問をしてくれました。また、私の学んでいることに深い理解を示してくれたように思います。日本で、神学部において宗教を学んでいることを人に伝えると、宗教は洗脳である。とか、宗教を学んだところで役に立たないと否定されることがしばしばあるので彼女の反応は新鮮なものでした。
 そして、彼女には何度も特定の宗教を持つことを強く勧められました。私の宗教に対する認識は、大学で宗教を学んでいる身でありながらも、人々の心を癒し平和な世界に導くものであるとともに恐ろしい一面も持っているというものでした。特定の宗教を持つことで視野が狭くなってしまうのではないかと思っていたのです。しかし彼女にその思いを伝えると、特定の宗教を持ち信仰をするからこそ、相手の宗教を信仰する心を理解し、尊敬することができると伝えられました。日本人は、特定の宗教を持っていないからこそ公平な目で多くのものを吸収することができると思います。しかし、生きる理由や、人生の指針を宗教においている人々を真の意味で理解するためには、彼女の言うことも一理あると感じました。この視点を持っている日本人は非常に少ないのではないでしょうか。宗教に対する新たな視点を与えてくれた彼女には感謝しています。

また、小学校でこいのぼりプロジェクトを行った時、子供たちが、「ブッタはネパールで生まれた」や、「ジ―ザス」、「仏」等の言葉を日本語で書きたいと言ってきたことにとても驚きました。彼らの土地に根付く宗教信仰は決して恐ろしいものではなくて、心や生活にそっと寄り添うものであると感じました。宗教を一言で語ることはできませんが、今回肌で感じたことはこれからの学びに活かしていきたいと思います。

2)一国の中にある異文化
 今回ネパールと日本の学生間の異文化交流が一番の目的だったと思いますが、12日間ネパール人メンバーと生活して強く感じたことは、ネパールの中に多々存在する異文化でした。都市に住むネパール人メンバーにとっては、シックレスでの生活はほとんど異文化であり、デフスクール(※デフスクール=聾学校)への訪問も彼らにとっては異文化空間であったのだと感じます。異文化交流と聞くと少し身構えてしまいますが、生きてきた世界(世間)が違う人同士が交流することもある種の異文化交流であると感じました。そのため、都会育ちの彼らもシックレスの村での暮らしになじむことができずに、アンマー(ネパール語でお母さんの意)がダルバートを、火をおこして作ってくれるのを見ながら語り合うこともあまりしませんでした。ネパール人メンバーがアンマーのダルバートをよく残したので、ダルバートが大好きな彼女になぜ残したのかと聞くと、家の中で火をおこすことで煙が肺に入って病気になってしまうことや、見たことのない青草が入っているからという理由でした。
 デフスクールにおいても行きのバスでネパールの障害者がおかれている状況について私たちに語るとともに、自分はあくまで健常者であり今まで障害を負った方と触れ合うことを避けていたと語ってくれました。デフスクールで障害を負った方と触れ合うことはネパール人メンバーにとっても新たな文化圏を知る一歩であったのだと感じます。
 日本においても、私たちが主体的に農村での暮らしの状況やろう学校の様子を知るために訪問し、触れ合うことがあるでしょうか。私たちは、異文化交流と言うと多くの場合外の世界との交流を思い浮かべます。しかしながら、異文化は私たちのすぐ隣に広がっているのです。確かに、ネパールを初めとする海外の状況を見て肌で感じることも必要であると思います。しかし、それに付け加えて自分の国にある小さな異文化圏に気付き、自ら歩み寄り知ろうとすることもまたこの国に生きるものとしての義務なのではないでしょうか。
 グローバルな時代になり、グローバルな人材が求められている今だからこそ「外へ外へ」と歩みを進める前に、自国に存在する多くの異文化に気付ける人間になりたいと思います。ネパールでネパール人メンバーと過ごす中で見えた様々な文化を通して日本を見てみるとまた新たな発見があってとても面白かったです。

0 件のコメント:

コメントを投稿