2017年10月28日土曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 9月 報告書 (3) 竹井 栄梨(東京経済大学経営学部2年)「ネパールプログラムを終えて」

Mero Sathi Project 2017 9月 報告書(3)
「ネパールプログラムを終えて」

東京経済大学
経営学部2年 竹井 栄梨

 2017年9月5日~9月18日までの約2週間、ネパール研修に参加した。大学入学当初は、まさか自分が発展途上国であるネパールを訪れることになるとは思ってもみなかった。 
 私が、この研修に参加することが決まったのは、関ゼミに所属するのが決まった4月だった。その直後はネパール研修が楽しみで、「自分が変われるチャンスになるのでは」と期待で胸がいっぱいだった。しかし、研修が近づくにつれ、ネパールという初めての地に行くこと、さらに他の関ゼミのメンバーに比べ英語力が乏しいことから、期待よりも不安の方が遥かに大きくなっていた。そんな不安の中で迎えた研修を終えて思うのは、ネパールでの2週間は毎日が発見と衝撃の連続で、とても充実した濃い時間だったということだ。本報告書では、二週間の中で感じたこと、考えたことを大きく2つに分けて述べていきたい。

1.伝えることの難しさ
 ネパールの空港についてマイクロバスでネパールメンバーが待つ場所に向かうとき、私は楽しみや期待でいっぱい!というわけではなく、不安な気持ちばかりであった。それは、自分の英語力の乏しさ、表現することの恥ずかしさをなかなか捨てることが出来ないのではないかと感じていたからである。自分の英語力の無さは、自分が一番わかっているつもりだった。自分はこのプログラムの本質であるネパールメンバーと日本メンバーとの交流という点において、英語がないと深く関わることができないと感じていた。
 私の予感は的中した。聞き取りなら少しはできるだろうと思っていたが、全く出来なかった。このプログラムでは、皆が英語を話せるということが当たり前の環境であった。しかし、自分はネパールのことを聞きたくても聞けない、英語力に自信がなくて話かけることすらできない、難しい質問をされても答えることが出来ないことで焦り、悔しさでいっぱいだった。英語を話すことが当たり前の環境にいたのに、私には、その「当たり前」のことが出来なかったのである。この研修において、英語を話す環境に身を置くという、「当たり前」を準備不足のままにしてしまった自己の責任である。これは、今回のプログラムでの重大な反省点である。コミュニケーションをとる上で一番大事なものは言語能力だということを、この研修で痛感した。
 一方、英語が思うように使うことが出来ず、どうしたらコミュニケーションがとれるのかと考えたとき、ダンスや歌は、コミュニケーションのツールとなるということを感じた。マイダン村やリンネハ村の学校で、関ゼミのメンバーがネパールの歌を覚えて歌い、みんなが手拍子をしてくれて皆が笑顔で包まれたときにそのことを感じた。1つの空間で歌を通して通じ合えたとき、「これもコミュニケーションのひとつだな」と感じた。
 関ゼミメンバーで毎晩集まりミーティングを開いた。その日、自分が気づいたこと、感じたことをメンバー同士で共有し、意見を言い合い、研修をより良いものにしていくためである。私は、自分の意見をまとめたり、明確に伝えたりすることが苦手である。自分の考えを伝えるときに、まとまっていない状態で発言したり、言いたいことを言い忘れたりするからである。言い終わった後に、こう言っておけばよかったと後悔することがほとんどだ。研修中も、自分なりに考えて意見を出していたつもりではいたが、思うようにまとまった意見が言えなかった。
 それに対し、関ゼミのメンバーは自分の考えや意見を伝えるのが得意な人が多いと感じる。彼らのように、自分の思ったこと、感じたことをその場でしっかり相手に伝えられるような人になりたいと目標を持つことが出来た。人よりも伝えることが苦手な自分に必要なことは、何か見たり、気づいたりしたときに人一倍それについて考えないといけないと思う。それを今後実践していきたい。ミーティングは、私の課題を明確にする上で大変貴重な場となった。

2.貧しさと幸せ
 途上国というと、「貧しさ」という言葉が思い浮かぶ。ネパールに着いて数日間は、確かにその言葉が当てはまっていると感じた。道は整備されてなく、信号もない。水も十分になく、電気も不規則に切れる。ストリートチルドレンを初めて見た。車の窓を叩いてお金をくれといってくる子どもたちもいた。私が少しのお金をあげたところでその子の生活はなにも変わらないという思いからの悲しさを感じた。自分はこういった途上国に何ができるのだろうと考えていた。
 しかし、マイダン村とリンネラハ村での4泊5日のホームステイと終え、そこには沢山の笑顔があることに気付いた。自分の家でヤギや鶏、農作物を育てる自給自足に近い生活を送っており、子どもたちも朝5時から起きて両親と共に働いていた。確かに、日本で暮らす私たちから見れば、「貧しい」のかもしれない。しかし、時間をあまり気にせず、自給自足の生活はお金に縛られた生活をする必要はないと考えることもできる。不安定な生活かもしれないが、決して「貧しい」とは一言で言い切ることはできないと思った。
 ネパールのメンバーは皆口を揃えて「私はネパールのことが大好きだ」と言っていたし、中には外国数か国を訪れてもなお、ネパールが一番好きだと言っている人もいた。仕事の時間でも家族とともに過ごせること、また、農村での生活ならではの近所や地域とのつながりの強さが、ネパールの人が口をそろえて言う「幸せ」につながっているのではないかと思う。私は、途上国は貧しいものと短絡的に捉えてしまっていたが、経済的な貧困と心の貧困を一概に同列に語ることはできないと感じた。それは、ネパールには沢山の笑顔、たくさんの幸せがあると感じたからである。ネパールが貧しいかどうか、それは私たちが決めることではない。

 最後に、この2週間のプログラムに参加することができて本当に良かったと感じている。自分の価値観を広げることができ、今後の課題も見つけることが出来た。なによりも大学生の今、このプログラムに参加できたことを心から嬉しく思う。関先生をはじめとするプログラムに関わっているすべての人、コーディネーター、ネパールメンバー、関ゼミメンバーに心から感謝を伝えたい。

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