2017年10月20日金曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (9) 関愛生(上智大学総合グローバル学部3年)「置かれた場所で咲きなさい」

「置かれた場所で咲きなさい」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科3年 関愛生

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉をご存知だろうか。これは長年修道女としてご活動されてきた故・渡辺和子(わたなべ・かずこ)さんが生前お話された言葉だ。ヒトはどこで生まれるかを選ぶことは出来ないけれど、どのような人生であったとしても幸せを見出す方法は必ずある。そんな温かい想いが込もった言葉はこれまで多くの人々を励ましてきた。この言葉を初めて知ったのは、私がネパールで一年間生活していた高校1年生のときだった。
 高校生の私にとっては親元を離れて生活する事さえ初めての経験だったが、その上、後発発展途上国であるネパールでひとりで暮らすことは容易なことではなかった。毎日のように行われる10時間近い計画停電、一週間以上続いたこともある断水、月に何度もストライキにより学校、交通機関、商店などが全て閉鎖されることもあった。ここ数年でネパールにおける生活インフラは大幅に改善され、政治状況も比較的安定しているが、私が住んでいた頃のネパールはあらゆる環境が劣悪であった。また、後発発展途上国ならではの様々な社会問題も目の当たりした私は、それに対して何も出来ない自分の無力さに打ちひしがれることもあった。
 そんな私を励ましてくれたのは、他でもないネパールの人々であった。彼らはたとえ経済的に豊かではないとしても、いつも笑顔で、私に人生に対する姿勢や考え方を教えてくれた。そんなネパールの人々の心の豊さや親切さに私はすぐに魅了され、ネパールという国が大好きになった。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉は、ネパールの人々から私が学んだことそのものであった。
 大学生になって以降、私は年に数回ネパールを訪れてきた。その度に私は素晴らしい経験をさせていただいてきたのだが、今回も例外ではなかった。8月26日、私とその他日本人学生10名はAAEE主催のネパールスタディーツアーに参加するためにネパールに降り立った。このスタディーツアーは日・ネパール学生交流を主な目的としており、今回で私の大学入学後だけでも8度目の開催である。今回、特に楽しみにしていたのは地方都市ポカラの聾学校(聴覚障害を抱える学生のための学校)への訪問である。本報告書では、私のネパールにおける聴覚障害者の人々との出会い、そして聾学校での体験についてお伝えしたい。


 私がネパールの聴覚障害者の方々と初めて出会ったのは、2017年2月のプログラム中である。その一人が以前から何度か連絡を頂いていたラメシュ・カルキさん。若くしてポカラの聴覚障害者協会の幹部となった人物である。彼らは聴覚障害者のための学校を設立し、全国津々浦々で聴覚障害者を差別から救うに啓蒙活動を精力的に行っている。ネパールでは障害者に対して差別的な風潮が未だ強く残っている地域が多く、ラメシュらの活動は障害者や社会的マイノリティーの保護という観点からも必要不可欠である。彼らの活動に感銘を受けた私は、翌日には聴覚障害者協会と彼らの経営する聾学校を訪問し、それ以来ネパールの聴覚障害者関連の活動をしている皆さんと親交を持ってきた。
 今回のツアーでは、発展途上国における障害者の現状について知るべく、参加者全員での聾学校を訪問をはじめてプログラムに取り入れた。当日は、ほとんど丸一日を聾学校で過ごし、生徒達と一緒に朝食を食べ、スポーツをして、授業を行うなど盛りだくさんな内容だった。その中でも特に印象に残っているのは、生徒へ向けて私たちが授業を行ったときの出来事である。
 「何でもいいから生徒のためになるような授業を行ってほしい。」これが校長先生からの依頼であった。日本・ネパールメンバーはそれぞれ数人のグループで授業を用意して当日に臨んだ。私は高校3年生のクラスを担当することになったのだが、なかには20歳を超える学生が何人もいた。考えた末、自分と同世代の若者相手に授業をするのも何だかおかしいと思い、授業はやめて生徒の皆さんに私が抱いている疑問を質問してみることにした。具体的には、デリケートな問題ではあるが「これまで聴覚障害があることで差別をされたり、不当な扱いを受けてきたことがあるか」というものである(生徒たちとの会話は手話通訳者を介して行った)。それに対して19歳の女子学生は、少し考えた後「私たち聴覚障害者にとって、ネパールで生きることは確かに簡単なことではないわ。私も生まれ育った村では差別を受けたり、ポカラに出てきた今でも街を歩くと白い目で見られることもある。その他にも大変なことはたくさんあるけど、それでも私はすごく幸せな毎日を送っているよ!学校に来れば友達がたくさんいるし、家族にも愛されている。学校を卒業したら、プログラミングを学んでエンジニアになりたいんだ。確かに健常者に比べたらネパールの社会で出来る仕事は少ないかもしれない。けれど同じくらい出来ることだってたくさんあるんだよ!」こう笑顔で話してくれた。この言葉を聞いた私は、体に電気が走るような衝撃を受けた。私はもしかして何かを勘違いしていたのかもしれない。
 社会的マイノリティーである障害者に対して常に寄り添うつもりでいた私だが、実際当事者の彼らは、驚くほど明るく勉強熱心で、会話をするときに手話を使用すること以外(当たり前だが)健常者となんら変わりない。彼らをマイノリティーとして被害者的存在にしていたのは、他でもなく私自身の考え方の偏りによるものだと気づかされた。私の質問に答えてくれた女子学生だけでなく、その後も多くの生徒とお話させていただき、彼らのパワフルさに終始圧倒されていたことを今でも覚えている。
 私が聾学校の生徒の皆さんから学んだことは何か。一言で言えば、冒頭にも書いたように「置かれた場所で咲く」ことの大切さである。皆さんは確かに多くの困難を抱えているだろう。しかし同様に、私たちだって人生を歩むなかで多くの壁にぶち当たる。その意味では、ネパールで暮らしていようが、日本で暮らしていようが、人生の根本的な部分では何も変わらないかもしれない。大事なことは、どんな環境に生まれようと、いかに幸せを見出し、目の前に立ちはだかる問題に対して恐れるのではなく、その解決に向かって仲間と手を取り合い、前進していくことなのではないだろうか。今回のネパールへのスタディーツアーは、そんなことを考えさせられた旅だった。

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