2017年10月6日金曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 8月 報告書 (4) 安蔵啓(成蹊大学法学部政治学科3年)

Mero Sathi Project 2017 8月 報告書(4)

「ネパールスタディーツアー報告書」

成蹊大学法学部政治学科3年 安蔵啓

「ナマステ」この言葉を発するときに、私はいつも笑顔であった気がする。それが「こんにちは」でも同じであろうか。2017年8月は総じて笑顔が多かった。それは私がネパールに居たからなのかもしれない。そう思えるほど私はネパールに恋をした。本報告書において、私がネパールに滞在して感じたことを基に考えたことを記す。

ネパールと日本の差異
 「異文化交流」「多文化共生」これらは近頃話題の言説である。以前と比べて日本に居ても海外の人を多く見かけるし、私たちが海外へアクセスすることも容易になった。ネパールにおいてもそれは同様である。大学生活では上記の言説について学ぶ機会も多い。「多文化共生」「多文化主義」はカナダやオーストラリア、ドイツで盛んに議論されている。今後日本でもよりそのことについて考えなければならない状況になるのは自明である。多文化共生について考えるにあたり、私は日本とネパールの相違点について考えた。特に食事と言語に着目して考えた。
 ネパール人は一日に二度食事をとることが多く、ダルバートを主食とすることが多い。その際にスプーンなどではなく、手で食べることも多い。また1つの皿で盛り付けられることも特徴である。日本では三回食事をとることが基本である。また現代の日本人は米食以外に麺類やパンなどをはじめ小麦を主食とすることも多くなった。食事の際には箸、スプーンなどを用いる。
 私には、食事は日本もネパールも本質的には同じである様に感じられた。しかし、小さな違いの与える影響の大きさも痛感した。それは日本食を食べた時である。あるネパール人メンバーが天丼のつゆを「甘辛い」と表現したのだ。彼らにとって、甘いと辛いが一つの料理の中に共存することが不思議な様だ。普段私が意識したことのないことに気が付かされた一コマであった。実は、味付けの繊細さや複雑さ、或は細々とした食事作法は生活習慣を含めた文化、伝統に結びつくのである。味にせよ作法にせよ細かく規定されることで、食事や料理に目には見えない風味であり、見た目の美しさであり、バラエティーをもたせるのである。私にはその様に感じられた。
 しかしこのバラエティーに何かの意味があるわけではない。例えば米粒を残さない事は「もったいない」という観点から日本で大切にされる。しかし、そこに価値があるというわけではないのだ。習慣として「それはそれである」ということに過ぎない。即ち、ネパールにおいてそれがなされていなくとも私たちがその行為を評価するに値しないのだ。重要なのはどちらかが優れているとか素晴らしいとかではく、その違いを単に認識することである。無意識のうちに自分の尺度で測るのではなく、ありのままを脚色せずに受け付けることが大切だと考えた。
 次いで言語についても考えた。ネパールで話される言語は多数存在する。私の知る限りでも「ネパール語」「グルン語」「ヒンズー語」「英語」など多岐に渡る。多民族国家であるネパールでは言語も民族と同じく多数存在するのだ。それの良しあしについてここでは問題にしない。私が着目したのはヘゲモニー言語としての「英語」や「ヒンズー語」の存在がネパールにどう影響しているのかということである。私たちはネパール人メンバーと英語でコミュニケーションを図った。不十分な英語でも何とか意思疎通することができた。しかしネパールの現地人との会話には難儀した。英語が通じず、英語の質問にネパール語で返事をされることもあった。不便である。英語話者が来日した際に「日本では英語が通じない」とよく言う。きっと日本も私がネパールで感じたような不便を非日本語話者に感じさせる社会なのであろう。
 しかし、非ネパール語話者に不便であるその状態は「克服」されなければならない社会課題なのであろうか。私は必ずしもそうだとは考えない。「グローバル社会に英語は不可欠」だとよく言われる。そこへの賛否は分かれるが、英語が話せる方がコミュニケーションを取りやすいことは事実である。容易なコミュニケーションを目指すことは否定しない。しかし、そのことによって固有の言語が衰退することは避けなければならない。ネパールではヒンズー語のテレビ番組を見ることが当たり前だそうだ。「これは由々しき事態ではないか」私にはそう思われた。娯楽へのアクセスに母語ではない言語を要することが、果たして健全であろうか。このままだとネパール語の価値が否定されてしまうのではないだろうか。ビジネスには英語、娯楽はヒンズー語という状態を野放しにすることはネパール語の衰退を招きかねない。ネパールに滞在して貴重な言語・文化を残すことが重要だと感じた。その合理的方法は存在しないかもしれない。それでもネパール語の衰退が起こらないように気を付けなければならないと考える。

 「40年前のカトマンズを見たい。」その一言は私の手に目頭を覆わせた。ないものねだりではあるが、時間に逆らうことはできない。時間だけでなく、金や権力にまで束縛される人間はもう「ヒト」ではなくなったのかもしれない。なぜ生きるのか、何をするのか、何でいるのか。改めて考えるいい機会であった。
本プロジェクトに携わった全ての方に「笑顔」でありがとうを伝えたい。そう思えるツアーであった。

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