2017年10月27日金曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 9月 報告書 (2) 周暁潔 CHEW SHEI JIENG(東京経済大学経済学部2年)「私が観察したネパール」

Mero Sathi Project 2017 9月 報告書(2)
「私が観察したネパール」
東京経済大学
経済学部2年生

周暁潔 CHEW SHEI JIENG

 
大学での初めての海外研修はネパールに行った。ネパールに行く前に、正直なところ、国についてあまり知識も馴染みもなく、具体的なイメージが湧かなかった。ただこの国に対して持っていた印象はアジアでも貧しい、不衛生な国ということだけである。
ネパールの首都カトマンズにある唯一の国際空港・トリンブバンに到着した時から、ストレスを感じ、後発開発途上国ということを実感した。ネパールの空港でビザを申請するのに自国の通貨・ネパール・ルピーを使えるのが当たり前と思ったが、使うことができなく、驚いた。ネパールのメンバーにインタビューしたところ、ネパールにとっては外貨収入が国の経済のために不可欠なのだそうだ。
  最初の数日間、目で見える日本との違いと言えば、道路も舗装されておらず、綺麗な水もない上に断水している場合も多く、貧乏な国ということばかりであった。ただし、ネパール人たちと交流してみると、意外にもネパールは文化的に非常に豊かに恵まれている国だと気がついた。こんなに精神的に豊かで可能性がある国に、何をすれば支援になるのだろうか。もし私がネパール人ならこの国をどんな国にしたいだろうか。

1. 教育について
   二週間の研修の間に、現地の学校を見学に行った。それ以来、ネパールの教育に強い関心を持った。残念ながら、ネパールでは、日本やマレーシアのように誰でもしっかりと教育を受けることができるということではない。子供達が、多くの原因により良い教育から遠ざけられていることは深刻な問題の一つだと思う。それには、親の経済状態、住んでいる地域、さらにはカーストなどの要因もある。
   マイダン村で出会ったある村民は、よりよい教育が生活の質を向上させると信じている。そして、自分の子供の将来を思い、良い教育を受けさせたいと考えている。しかし、自分の村では十分な収入が得られないため、外国のマレーシアに出稼ぎに行かなければならなかった。マレーシアで得る賃金は、マレーシア人にとってはとても低いが彼らにとっては大きな収入である。その賃金で子供の教育費用を負担できる上に家庭の支出も完全に支えることができる。しかし、村の中でも家族が海外に出稼ぎにいけない家庭がとても多く、その家庭の子どもは村の学校には行くことができるが、より質が高い教育を子どもに受けさせるための費用が負担できないのが現状である。つまり、私が言いたいのは、親と同じ教育のレベルでは、貧困は慢性化し、自分も家庭も国も豊かにならないということである。
  首都カトマンズは教育が普及している都市である。英語教育やパソコンを使った教育が盛んに行われている。しかし、そのような教育を行うのはカトマンズや地方の都市にある私立学校だけである。見学に行ったポカラの山の上の学校には、ほとんど全員の先生と学生達はパソコンを見たことがなかった。私はそのような教育格差は国の発展に深刻な影響を及ぼしていると思う。
教育格差とネパールのカースト制度の間に密接な関係があることも学んだ。カースト制度は1963年に撤廃されたものの、未だに社会通念として根強く残っており、日々の社会生活を支配している。具体的に言えば、カーストにより親の職業が限定されるために、親の収入の低い子供は学校に通えない場合が少なくない。私たちはネパールのコーディネータの求めに応じ、この学校の小学校にパソコンを寄付し、使い方も教える活動を行った。しかし、私はこの活動に大きな疑問を持った。果たして、この活動はネパールの教育格差の根本的な解決につながるのだろうか。寄付したパソコンは本当にその後皆の生活に役を立つか。よく考えたら、ネットも繋げない場所でパソコンがあっても、外の世界に関わられるわけもない。教育格差の問題はただ私たちの支援で解決できず、ネパールの政府が取り込まなければならない問題の一つであると強く感じた。
  ネパールの教育改善は二つ段階に分けて行うことが必要だと思う。まずは、第一段階は子供たちに教育の機会を保証することである。そして次の段階は、ネパールはもっと他の国々と足並みを揃えることが大切だと大人たち伝えることである。例えば、大人たち一人一人が衛生や清潔の概念がしっかりと身につければ、清潔な水を飲める設備の整備を強く求めるようになり、結果として生活を向上する。大人の意識を変えれば、子供たちの意識も自然と変わってくるはずだ。若者の考え方は、大人の古い考え方に縛られ自由な発想が制限されているような気がした。

2.  性差別について
ヒンドウー教の風習の一つであるチャウパディは、西ネパールに広く浸透した教えである。それは、生理中の女性を不浄であるとみなし、家族から追放する、生理期が終わるまで土牢に閉じ込める風習である。土牢は家の外にある家畜小屋や掘っ建て小屋、洞窟などで生活しなければならない。UN WOMENでの活動により、チャウパディについてのことを聞いて、不思議だと思った。そのチャウパディで体調悪いため死亡した女性は何人もいるのにも関わらず、神様に怒られないように廃止できない風習の一つである
  男女教育の機会不均等のことも問題の一つである。様々な考え方より、ネパールでは、女性教育不要論が根強いと明らかになっている。なぜなら、「女性は結婚して子供を生み、家事をすれば良い。教育は必要がない」という考えを持つ両親が多いからだ。多数の両親にとって、女児が結婚したら、結婚した相手の家族に送るものであると考えているという根深い理由で、女児より男児の方に投資することになる。女児に教育を受けさせない最もの原因は社会が女性の教育に経済開発効果を期待していないからだ。首都のカトマンズには人口が集中し、医療の供給も追いつかない状態だが、女性の医者は社会に信用を得ない場合もあると聞いた。性別により能力を認めないことさえあるそうだ。女性蔑視の思想が浸透していると思う。
私の住む日本でも、昔から今までも様々な性別差別の問題がある。ただネパールと違いは、日本がその問題を社会的に認知して男女格差も縮小するために、男女が共に活躍できる社会にするために一生懸命に対策を立てていることである。

結論として、ネパールは異文化との接触が限定されているために、今でも自分の民族の伝統を踏襲することを主眼としているように見えた。それももちろん大事なことではあるが、私の意見では、国の改善には教育が質を高めることが不可欠であり、教育を通じて世界中の知見や外の世界を学ばせることが重要であると考える。ネパールを発展するためにもちろん物質的な支援は必要であるが、ネパール人の視野を広げるための取り組みも必要であると思った。最後に、生まれた民族と個人の人生はイコールであってはいけないと思う。個人の人生は、その人の努力によりその人なりに変容していくべきである。



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