2017年10月25日水曜日

ネパール Mero Sathi Project 2017 9月 報告書 (1) 新井徳郎(東京経済大学経済学部3年)「それぞれの幸せ」

Mero Sathi Project 2017 9月 報告書(7)

「それぞれの幸せ」

東京経済大学 
経済学部3年 新井徳郎

2017年9月5日から18日の約2週間、私は関ゼミのネパール研修に参加した。この研修に参加を決めた理由はいくつかあるが、最大の理由はネパールという私にとって未知の国に実際に行ってみたかったからだ。実は私は去年もこの関ゼミの海外研修に参加していた。去年のベトナム研修では自己管理の甘さから、メインイベントの前夜に高熱を出し、そこから5日間入院する大失態を犯してしまった。病院での食事は朝昼晩おかゆで退院後も関先生の言いつけで帰国までおかゆのみ。結局ベトナムをほとんど楽しむことなく帰国してしまった。その反省を生かし、出発の一週間前から野菜中心の健康的な食生活に変え、さすがに2回目はないだろうと思いつつも、念のため風邪薬をバックにしまい万全の準備で研修当日を迎えた。
 今思えばこの研修は衝撃的で貴重な経験にあふれていた。屋根の上に積んだ荷物をむき出しで走る車、どこまでもまっすぐな道、体が浮くほどのでこぼこ道、車道を歩く牛など、何度心の中でツッコミを入れたかわからない。中でも最も印象に残っている光景は2つあった。
 まず一つ目は、女性が泣き叫びながら男性を病院に担ぎ込んでいる光景だ。私はネパール研修中、メインイベントの前日に二年連続で高熱を出してしまった。幸い一晩の入院で熱は下がり、翌日からのメインイベント(村でのホームステイ)に参加することはできたが、事件は病院の駐車場でタクシーに乗り込んだときに起こった。大きなアクセル音とともに左後部座席のドアの空いた車が病院の駐車場に入ってきた。停車すると、開けっ放しのドアから女性が泣き叫びながら出てきて、車内から人間の足を引っ張り始めた。すると車内からぐったりした男性と、その男性にくっついて芋ずる式に二人の男性が出てきて、運転手と3人で男性を病院まで担ぎ込んでいた。 
 その後の関先生の話では、ぐったりしていた男性は自殺したとのことだった。ネパールではただの熱や体調不良では病院には行かず、今回のように本当に大変な場合にしか病院には行かないそうだ。38度程度の熱で夜中に病院に行く自分の脆弱さと先進国と発展途上国の格差に罪悪感を感じた。その後ゼミ生たちと合流したが、自殺した男性と泣き叫んでいた女性のことが頭から離れなかった。自殺はネパールだけの問題ではなく、数字だけ見れば日本の自殺率はネパールの自殺率の三倍あると自分に言い聞かせ納得させようとしてもあの光景を忘れることができなかった。
 二つ目は、マイダン村の小学生たちの笑顔だ。退院の翌々日、丸一日の大移動を経て、私たち辺境の山奥にあるマイダン村という小さな村を訪れた。マイダン村はネパールの中でも相当に発展が遅く、英語を喋れる人はほとんどいなかった。プログラムでマイダン村の小学校を訪れ小学生と交流すると聞いた時は、言葉も通じないのに交流などできるのかと不安だった。しかし小学校に足を踏み入れ、気が付くと私は現地の小学生たちと追いかけっこをしていた。何がきっかけで始まったかわからない。彼らはこっちが追いかければ笑いながら逃げ、こっちが逃げれば笑いながら追いかける。時には小石やゴミなどを投げてくる何でもありのルールだったが、追いかけっこをしているときの彼らはずっと笑っていた。そしてその笑顔は心からの笑顔だと私は感じた。
 小学校からの帰り道、私は先ほどまで交流していた小学生の幸せそうな笑顔とは対極の、数日前の病院での出来事を思い出していた。深い悲しみの中にいる人がいれば、その一方で同じ瞬間に幸せそうに笑っている人もいる。これはネパールのことだけではないが、実際にその瞬間を目の当たりにすると、改めて幸せの大切さを考えさせられた。
悲しむ人を減らし、幸せを感じる人を増やすためにはどうすればいいのか。そんなことを考えた時、真っ先に思い浮かんだのはSDGsだ。SDGsとはSustainable Development Goals(持続可能な開発目標)を略した言葉で、飢餓やジェンダー問題など世界中にある様々な問題を17種類のゴールにまとめ、その17個のゴールを2030年までに解決しようという世界的な試みである。しかし研修が進むにつれて、私はこのSDGsが本当に正しいものなのか疑問を持ち始めた。
 きっかけは地方都市ポカラの山の中腹に位置する、カーストの低いコミュニティの小学校を訪れたときである。交流が終わり、帰り際に一人の男子小学生に「あなたは毎日楽しいですか?」とネパール人学生を通して聞いてみた。すると彼は「楽しいです。」と答えた。彼は学校の近所に住んでおり、学校が終わると友達といつも遊びに行くそうだ。直接聞けたのはこの少年だけだが、ともに交流していたネパール人学生も毎日を楽しんでいると言っていた。私とネパール人学生とポカラの小学生では住んでいる環境もカーストも違う。しかし誰もが今を幸せだと言っていた。だとするならば、SDGsのように先進国が発展途上国をあらゆる面で支援し、先進国の環境に近づけることは本当に必要だろうか。
 確かに飢餓問題や貧困問題など必ず解決しなければならない問題も存在する。しかし逆にSDGsのすべての目標が達成されたてしまえばすべての国が先進国になり、地球が一つの国のようになってしまう気がする。そうなれば幸せや悲しみの捉え方は自ずと少なくなっていく。「先進国の人間だからそんなことが言える」と言われてしまえばそれまでだが、そんな世界より、自分が経験したことのない環境が無数に存在し、様々な感情や価値観を持った人間が共存し、様々な幸せが混在する世界の方が私は見てみたい。
 SDGsの17個の目標は先進国の人たちが、もしくは発展途上国の地位の高い人間の目線からの考える世界の幸せなのだと思う。私たち先進国に住む人間からすれば、例えばカーストによって生まれながらに優劣をつけられ、通学路は険しい山道、小学校なのにブランコや滑り台の遊具のひとつもない、そんな生活より母国での生活の方が幸せだと感じるかもしれない。しかしそれは先進国の人間にとっての幸せであって現地の人が望む幸せは他にあるかもしれない。誰かを支援するときには自分の価値観を相手に押し付けるのではなく、相手と同じ目線に立ち、その人にとって何が幸せなのか共に考える必要があることが大切だとこのネパール研修を通して学んだ。

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