2017年10月8日日曜日

ベトナム VJEP 2017 報告書 (5) 挾土沙詠(上智大学総合グローバル学部1年)「コミュニケーションと協力」

VJEP 2017-ベトナムプロジェクト報告書(5)
「コミュニケーションと協力」

上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科1年
挾土 沙詠


プログラム初日、成田空港で初めて日本人メンバーが全員集合した際、私は期待で胸を膨らませていた、とは言えない。心の中は不安で支配されていた。理由は、準備が予定通りに進まず、渡航前に終わらせなければならない準備を追われないまま初日を迎えてしまったこと。そしてその結果、本来渡航前にすべきことをプログラム開始後に取り組まねばならず、プログラムを壊してしまわないだろうかと心配していたことにある。私の不安は的中し、最初の数日間はとにかくドタバタの連続であった。しかし、今こうしてプログラム全体振り返ってみると、わずか2週間にしてはとてつもなく多くの体験をし、正直、限られた字数では書ききれないほどの学びを得た。本報告書においては、私が特に強く感じたことに絞り、3つ取り上げて述べようと思う。
 
1. 異文化交流を通じたコミュニケーションについて
 ベトナムメンバーと初めて対面した際、特に2日目の夕食時、改めて自分自身の英語力の乏しさを痛感したと同時に、対話能力が乏しいことに気づいた。というのは、英語が喋れるか否かという問題以前に、会話を長く続けなければならない状況になったとき、会話を続ける力や弾ませる力、話題を作る力が欠けていた。そのために、会話に微妙な間ができてしまったり、そもそも何を話せばいいんだろうということを考え込んでしまうことも珍しくなかった。振り返ってみると、私は日本でも初対面の人と会話を続けることが苦手であるし、電話をかけることも好まないなど思い当たる節はいくつもある。しかし、これまではいつも楽で居心地のいい空間にいたために気づかなかっただけだ。今回、自分が得意としない英語で話さなければならないという状況に陥って、自分自身の問題点を露骨に感じることとなった。英語で自分のことを表現する力に加え、相手を楽しませる力や、ちょっとした配慮やユニークさが重要だと感じた。
 その一方で、自分の弱点を補うために、非言語表現や感情を共有することによるコミュニケーションの可能性を強く感じた。それは例えば、歌やダンス、楽しさ、怒り、むなしさのような感情を共有する体験である。特に私はダンスが好きで、このプログラムに向けて力を入れて準備してきたこともあり、対人コミュニケーションにおいてダンスが果たす力にの大きさには驚いた。日本人メンバー間でも、ダンスが得意な人も苦手な人もいる中で、最初は見るも無残な状況であったが、現地で練習を重ねる内に上達した。嬉しかったのは、私たちが練習する様子を見たベトナムメンバーが本当に喜んでくれ、私たちのの歌やダンスパフォーマンスを覚えて一緒に参加してくれたことである。さらに、私たちもベトナムで有名な歌の踊りを踊ったり、夜に一緒に歌ったりしたことを通して、言語以外の方法で心が解放され、一気にベトナムメンバーとの距離が縮まるような感覚がした。そこに私は異文化間における表現を通した交流の可能性を感じた。活動中に意見が分かれたり、日常とかけ離れた体験の中で様々な問題も発生し、複雑な雰囲気が漂ったこともあった。そんな時にも歌やダンスの力は大きかった。私自身心の支えとなったし、何よりもその時間はメンバー皆の心がつながった感覚になった。表現によるコミュニケーションは、直接心に響く即効性のある共感を生み出し、大きな効果があるように思う。私は、最終的に一番交流の中で大切なものは互いに互いを表現しあい、共感、共有することなのではないかと感じた。

2. チームワーク
 プログラムではチームで活動する場面がたびたびあった。ベトナムメンバーとの共同活動をうまく行うためにも、まずは日本人同士の連携が重要であった。プレゼンテーションや劇、パフォーマンス、その他にも普段生活を送ることでさえチームで動く必要があったからだ。このプログラムを通して、どうすればチームがうまく動くのか、自分の役割は何か、またその責任について考える機会が多くあった。特に、ベトナムメンバーのチームワークや、パフォーマンス力がとても素晴らしかったため、考えさせられることは多くあった。
 プログラムが始まる前の準備段階では、なかなか皆が集まれず、それぞれが忙しい中で仕事を分担し各自でこなす必要があったが、冒頭にも書いたようにプログラム開始までに十分な準備を終えることができなかった。そして、プログラム中に準備不足が浮き彫りになり、やりきれなさや未熟さをとても感じた。私自身も自分のことでいっぱいになってしまい、自分の中にあるみんなに伝えたいことや素直な気持ちを他のメンバーにうまく伝えられなかったし、さらに、与えられたプログラムを「こなしている」感覚があり、それについての不安や違和感を抱えたまま過ごしてしまっていた。今になってこのことを少し悔やんでいる。この経験から学んだことは、チームワークよく動くためには、当たり前のことではあるが、互いのことを気遣い自分の役割をしっかりと認識し、且つその役割に責任を持つ必要性があるということである。そのためには互いの信頼関係が欠かせず、さらにその信頼関係は十分なコミュニケーションを通して築かれるのだろう。
 私はプログラム中、雰囲気を壊してしまうことを恐れて自分の意見を言わなかった。今思えば、もっと自然体で、思ったことを率直に言えばよかったと思う。さらに言えば、皆が自分の正直な意見を言い合い、互いの意見を尊重し合える集団こそがどの分野においても必要なのだと思う。

3. 協力の難しさ
 ビンフック省での滞在中、ベトナムオーガナイザーとビンフック省の政府の方々が対立するという場面があった。それはスケジュールの変更やベトナムメンバーに対する待遇に対してのものであった。そのトラブルを通して、私は立場の違う人々が協力してプログラムを作り上げることの難しさ、複雑さを知った。今回のトラブルにおいては、すべての関係者がプログラムを成功させるために行動したが、立場や考え方に相違があったことから対立が生まれたというのが私の見解である。
 政府の方々はよりよいプログラムを作り上げるために決定したと思うし、オーガナイザーの学生たちは私たち日本メンバーやベトナムメンバーのことを第一に考えて行動していた。プログラムをよりよいものにしたいという目的が同じであっても、その人の社会的背景や立場によって考え方は異なり、最優先事項も異なる。人々は様々な視点を持っていて、重要だとみなすことも異なる。今回はそれに加えて、プログラムの関わってきた人々がこれまで培ってきた「価値観」という心の奥底までがかかわっていた。様々な価値観を持つ異なる集団が協力して同じ目的を果たすためには、相手の考え方を受け入れる寛容さ、違う立場の人々を尊重する態度、柔軟に物事を考えること、そして信頼関係が必要だと感じた。同時にそれがいかに難しいことかということもを痛感した。これは、多くの国際協力の場面でも当てはまり、私はこれからこのことを真剣に考えていかなくてはならないと思った。日本とは異なる政治体制、社会主義であるベトナムから学んだことは私に様々な課題を与えてくれたような気がしている。

 以上の三点を振り返って改めて思うのは、コミュニケーションの多様さ、重要さ、難しさについて学ぶことが多くあったということである。「交流」という言葉は、概念が明確でなく、このプログラムに参加する前まであまり注目していなかった。しかし、この「交流」を目的としたプログラムを通して、間違いなく貴重な経験をし、大切な人々に出会うことができた。また何よりも大きな収穫は、やさしさとパワフルさ、賢さを備えた素晴らしいベトナムメンバーとオーガナイザー、日本メンバー、サポートしてくれた方々、訪問した学校の生徒、出会うことができ、時間と様々な体験や想いを共有することができたことである。多くの刺激を受け、自分について見つめ直すことができ、今後学ぶべきことを明確化することができた。これからも彼らを通して学ぶことは多いだろう。
 終わりに、このような場を作ってくださった関先生や、日本のAAEE学生アシスタントの先輩方、ベトナムのオーガナイザー、メンバー、日本のメンバー、すべてのサポートしてくださった方々に感謝申し上げます。

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