2016年10月16日日曜日

AAEEベトナムプロジェクト<8月>報告書(10最終回) 吉田梨乃(上智大学総合グローバル学部1年)


「失敗、そして学び」


上智大学総合グローバル学部
総合グローバル学科1年
吉田梨乃

前列左が吉田梨乃

 「もう準備はおわった。」
プログラム初日、日本メンバーを乗せた飛行機がホーチミンに着陸する直前に私が放った言葉はこれであった。これから2週間の旅が始まるというのに、私の心はすでに疲労感となぞの安堵感で溢れていた。私は大学入学前からこのプログラムと関わり始め、準備期間を含めると半年近い期間をこのプログラム、VJEPに費やしてきた。労力とプレッシャーがかなり強かったので、「もう準備をしなくていい」という気持ちが私を安心させた。
 さて、今回のプログラムは多くの学びや気づきがあり、自らを成長させる機会ともなった。今回、日本人学生リーダーとしての役割を果たすために、渡航前の準備期間はもちろんのこと、現地でももちろん力を発揮しなければならなかった。しかし実は私の心は失敗や後悔の念に駆られている。本レポートではその苦悩や学びを述べるために、現地で起きたことも描写しながら主に2つのことに焦点を当て、記していきたいと思う。
 まず、「人生初のカルチャーショック」について述べる。私はこの経験を通して、学び、気付いたことは二つある。一つ目は、リーダーとして自分の力不足を実感したことによる無力感である。プログラム中盤であるDa Latでの滞在時、日本人・ベトナム人の双方で意見交換をする時間が持たれたのだが、そこが私の人生初のカルチャーショックの舞台であった。意見交換の場を持つに至った原因は、お互いに異なる価値観が招いた誤解がいくつも積み重なっていったことにある。このまま不信感を抱いたまま過ごしていたら、お互いの誤解をさらに生むことになり、今後のプログラムの進行におおいに影響を与えるであろうと判断したため、皆が本心で議論する機会が必要だと判断によるものだ。これはもちろんお互いの理解を目指すための話し合いであったが、その雰囲気は必ずしも友好的なものではなかった。正直な感情を吐き出すことが鉄則であるがゆえにお互いに厳しい言葉も何度か飛び交い、異文化相互理解の苦悩を、私たち全員が何度も味わうこととなった。海外経験があまりない私にとって、まさに「人生初のカルチャーショック」であったことは間違いない。
話し合いの場にいる時は、なんとか誤解を取り除こうと感情を織り交ぜないように発言しなければならなかったが、私自身冷静な対応力ができたかといわれれば、そうではなかったと言えるかもしれない。さらにいえば、この話し合いの場を作るまでの過程でリーダーとしてもう少し周りに気配りをすることができていれば、両国の架け橋となる存在になり、問題発生を防ぐことができ、そもそもお互いに不信感など抱くことはなかったのかもしれない。この話し合いの場においても、たびたび自分の力不足を痛感した。
 二つ目に、この話し合いがあったからこそ、異なる価値観がぶつかった際にその誤解を取り除く方法を学ぶことができたということである。異文化間で誤解が起きた場合に重要なのは、それを解決する「方法」を模索するよりもまずは、その事実に立ち向かう「姿勢」を見直すことであると感じた。ここで私が意味する「姿勢」とは、相手の心に寄り添い、寛容な心を持ち、自らの持つ価値観と相違することがあっても、許し認め合うことである。他者の価値観を敬う姿勢を忘れないことで、たとえ文化や意思疎通のための言語の壁があろうとも、誠意が伝わり誤解を解くことが可能なのではないだろうか。実際にこの話し合いの場では、緊迫した空気が流れ、問題自体が根本的に解決することはできなかったものの、お互いにこの苦難を乗り越えて友情を築きたいという誠意を持ってお互いに相手に接したからこそ、その後も今まで通り、いやむしろそれ以上の関係を築くことができたのかもしれない。 
 次に、「ベトナム人学生との交流」について述べる。このプログラムは学生交流型のツアーであることが特徴であり、互いの異なる文化や価値観を交流と言う形を通して学び、気づき、文化力を深めていく。先述したようなカルチャーショックはあったものの、私は非常に多くの学びを得ることができた。特に私はベトナム人学生コーディネーターとプログラム前から連絡を頻繁にとっていたのだが、彼女たちの英語力や思考力、判断力、リーダーシップ力にはいつも圧倒され、正直言えばプログラムが始まってからもついていくのに必死であった。他のベトナム人学生メンバーも、知性と陽気さに溢れていて、そのおかげで私たちはすぐに打ち解けることができた。彼らにはあり自分にはないものに気づくたびに、自分の弱さや欠点を知る場面が多くあった。
 ベトナムは世界の中でも途上国に位置付けられていている。日本におけるベトナムのイメージは、経済発展を遂げてはいるが、未だ他の東南アジアの国と同様、途上国というものであろう。しかし、実際に私たちが交流した学生は先進国に暮らす私よりも、卓越した能力を持つ人々ばかりであった。もはや私たち学生の間に先進国、途上国の壁はなく、人と人としての繋がり、交流を深めることができたように思う。他国に対するステレオタイプ的なイメージを乗り越えることができたのは、交流を通してお互いの性格や人柄、さらに文化や価値観を共有できたからである。私は改めて国際学生交流の意義を問い直し、より価値を感じるようになった。さらに言えば、自分自身の弱さや欠点がベトナム人学生との交流を通じて明確になり、英語学習を始めとする様々なことに貪欲に立ち向かうモチベーションにも繋がることとなった。
 ところで、私は物事を何でもマイナスに捉える癖がある。渡航前に感じた無力感、プログラム中に駆られた後悔の念など、前向きに捉えるのは困難であることがしばしばあった。しかし今思えば、このプログラムを通した経験はすべて「学び」であったことに変わりはなかった。Da Latで体験したカルチャーショック、ベトナム人学生との交流から気づいた自分自身の弱さや欠点、リーダーとしてお互いの架け橋になるようなことが思うほどできなかったことなど。悪く表現すれば、私は何度も失敗を繰り返し、その度に強い後悔の念に駆られていた。しかし、何かを失敗したと感じたとしても、失敗を生かして次に繋げることができれば、それは価値あるものとなり、ただの失敗ではなく成功の源となる。
 このプログラムで犯した失敗の数々を次に繋げること。それが学生時代にできる最大の価値ある学びとなると私は考える。私はこのプログラムで「国際学生交流」という分野を通して失敗を経験できたことを大変誇りに思う。人と人との繋がりを大切していきたいと考える私は、今回のプログラムを通じて将来の国際協力体制に学生ながらも少しでも貢献することができたのならば本当に嬉しいことである。そして、決して完璧ではなくむしろ失敗ばかりのリーダーであった私のそばにいて支えてくれ、価値ある貴重な経験を一緒にすることができた素敵な日本人・ベトナム人メンバー、私に数々の壁と失敗を通しながらも成長する機会を与えてくださった関先生に感謝の気持ちでいっぱいだ。

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