「入院生活」
東京経済大学経済学部2年
新井 徳郎
はじめに
私たち関ゼミは9月3日から9月15日の約2週間ベトナム研修を行いました。私個人としては初めての海外旅行だったので、最初から最後まで刺激的な出来事の連発でした。中でも最高に刺激的だったのは、初めての入院生活です。結果からいうとただの胃腸炎でしたが、初めての海外旅行だった私は高熱が出た時点で死を覚悟していました。おそらく数年前に東南アジアの伝染病について頻繁にテレビで取り上げられていたことが原因だと思います。そのことから無意識に”東南アジアで熱出たら死ぬ”という固定観念を作ってしまったのだと思います。それに加えて日本人の病院の概念を覆すような病院に連れていかれたことで普通の精神状態ではなかったです。
ベトナムでの入院生活は大変なことがたくさんありました。しかし、そんな過酷な5日間を過ごしたことで私は私自身の成長を実感できました。以下では二週間の研修を終えて考えたこと、学んだことを明らかにすることを目的とします。
入院中
9月9日の夜に発熱しました。先生とタクシーで向かった最初の病院は、見るからに医療ミスの発生しそうな病院というのが最初の印象です。あと英語が通じる人が少なかった気がします。ベッドに寝かされて数時間後、深夜二時頃、関先生がホーセン大学の先生と交代していなくなった時、パニック状態だった私は病院のすべてに疑いを持っていました。点滴の薬を間違えてないか。毒が混入していないか。本当に彼らは医者なのか。そんなことばかり考えていると眠気がなくなってしまい、結局ほとんど眠れないまま朝になってしまいました。朝になると関先生が来てくれて、怒られた後の日本人メンバーの反応(関先生に内緒でベトナムメンバーとコーヒーショップに行ったのがばれた)のことを話してくれたので少し落ち着きました。先生のおかげで、少し眠くなったので寝る準備をしていると、清掃員のようなおばさんが車いすを引きながら現れました。その清掃員らしきおばさんはベトナム語で話しかけてきて、おそらく身振りから察するに”座れ”と言っているようでした。看護師ではなく清掃員だったのでどこに連れていかれるか心配だったのですが、清掃員の圧力に負けて乗ってしまいました。連れてこられた病室は戦争系のドラマでしか見たことのないような病室で、その病室に入った時点で眠気は一切なくなり、またパニック状態に戻りました。私がベッドに横になってソワソワしていると、隣のベッドのおじさんがベトナム語で話しかけてきて、点滴の薬の量を調節するところを触り始めました。今考えるとたぶんおじさんは私の点滴に血が逆流していることを指摘して、血の逆流を止めてくれようとしたのだと思います。しかし、パニック状態で、医師のことも全く信用していない僕にとって同じ患者に点滴を操作されることは死に直結する大事件でした。必死に”STOP”と連呼して、ナースステーションに逃げ込みました。しかしまたあの清掃員のおばさんにすぐに病室に戻されてしまい、私にできることは寝て現実から離れることだけでした。その日のお昼頃、先生から病院を移ることを知らされて、そのまますぐに次の病院へ向かいました。
次の病院はWi₋Fiも通っていて、英語も通じる、掛布団も枕も平らな床のある、前の病院と比べると天国のような場所でした。ただ1つだけ、ご飯が想像を絶するほどまずいという欠点を除けば。特にチキンのおかゆとキャロットスープ。においだけで吐き気がして食べられませんでした。しかし、天国とは言っても全くやることがなく、体の動きは制限されるのでスマートフォンをいじることしかできず、退屈で無意味な時間を過ごしてしまったことを後悔しています。救いだったのが、ベトナム人メンバー2人がお見舞いに来てくれたことと日本人メンバーとのラインです。ベトナム人メンバーは二日間もお見舞いに来てくれて、面会時間のギリギリまでたくさんベトナムのことを教えてくれました。日本人メンバーは、ビデオ通話や私が入院中の出来事の写真をたくさん送ってくれました。
退院
退院日、病院を出発してそのままホーセン大学に直行しました。実は数日前から体調が絶好調だった僕は、やっと退院できた!と喜びでいっぱいでした。関先生と大学に到着すると、驚きの「記者会見」が待ち受けていました。記者役は日本、ベトナムメンバーで、「偽」記者会見でしたが、ホーセン大学の方々も協力してくれ、偉いお客さんが来訪した時にしか使わない部屋を貸し出してくれたと後に聞きました。みんなは、相当に準備したらしく、事情を知らぬ人からすると、明らかに本当の記者会見にしか見えず、とても緊張してしまいました。皆との再会を待ち焦がれていた私は、興奮してしゃべり続け、司会から話を止められる一幕もありました。
その日、みんなと夕食を終えた後、自分の部屋で前の病院での出来事について思い出していました。前の病院での生活は確かに大変でした。でも結果私は健康に生きていました。それはつまり、両方の病院の医師の施術が間違いではなく、最良の施術だったことの証明です。それに、車いすで私を運んでくれたおばちゃんは、ただ私を病室まで運ぼうとしてくれただけで、点滴を操作しようとしたおじさんは、私の血の逆流を止めようとしてくれただけでした。冷静になった私は入院中に出会った人すべてが、私を助けようとしていてくれたことに気が付きました。それと同時に、そんな親切な人たちに、疑いの気持ちを持って接してしまった自分の愚かさにも気づきました。
まとめ
私が今回の入院生活で学んだことは2つ。1つ目は、ベトナム人のやさしさです。本報告書では、病院で出会った人のことしか書きませんでしたが、入院する前や、退院後のベトナム人学生との交流の中にも優しさを感じることはたくさんありました。個人的に、そこら辺にいる日本人よりも優しいと思います。2つ目は、固定観念は捨てるべきだということです。そのせいで無駄に神経をつかい、恩人たちに悪態をついてしまいました。日本に戻った今でも後悔しています。
ベトナムで感じた後悔は入院生活以外でもたくさんありました。ですがそれ以上にうれしいこともありました。個人的に一番うれしいことは友達が増えたことです。出発前はほとんど日本人だけだったFacebookの友達がいまでは日本人と同じくらいベトナム人の友達がいます。中には今でもメッセージをやり取りしている友達がいます。いつかまたベトナムに行って友達に会うことが私の新しい目標です。
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