「異文化を超えて」
東京経済大学現代法学部3年
穴田 麻由佳
最初に私がVJYEプログラムに参加したいと思った理由は、もともと異文化交流には興味があったものの、これまで日本以外に訪れたことのなかったアジアの国に訪れ、現地の学生との交流をする機会なんてこの先滅多にないだろうと思ったのがきっかけだった。私は東京経済大学の関昭典ゼミでゼミ長になり、この研修でリーダーとして務めることになった。この時はまだ、この研修でどんな体験をするのか想像もつかなかった。
9月3日、ホーチミンに着いた時には、既に夜の12時を回っていた。ホーチミンに来てまず驚いたことは、バイクや車の通りがものすごく多いことだ。道路を渡る時にも容赦なく左右から迫ってくる。ホーチミンはとても暑かった。
9月4日、ベトナムメンバー全員と対面する。そこでベトナムメンバーの1人とバディを組むことになった。私のバディはタンという女子学生だった。何を話せばいいのか悩んだが、タンは積極的に話しかけてくれた。彼女はとても親切で、私が初めて仲良くなったベトナムメンバーだった。
ベトナムメンバーとはスポーツやナイトツアーなどを通してさまざまな交流をした。小学校から大学まで訪問し、ベトナム戦争で使用された枯葉剤の被害者であるドク氏と食事をし、ご講演を聞くという貴重な時間も過ごした。
ベトナムでの日々は1日がとても長く感じた。充実した毎日だったが、楽しいことばかりではなかった。1日中日本メンバー・ベトナムメンバー全員でずっと一緒にいるため、自由時間はほとんどなかったし、英語を話し続けると疲れてしまい、つい日本語で話してしまうこともあった。また、リーダーとしての責任や仕事の負担も大きかった。何をすればいいのか誰よりも考えなければならなかったし、上手くいかないことも多くて、リーダーというだけでこんなにも苦労するものとは思わなかった。1人ではどうしようも出来ず、周りの助けも必要だった。違う環境で過ごしながら、リーダーとしての仕事をすることに精神的に疲れ果てていた。
そんな中、私が最も印象に残ったタライでの4日間が始まった。ホーチミンからバスで約4時間走り、タライに到着した。景色は所々で建物や人が見えるくらいで森と道しかない。今までに見たことのない光景だった。やがて私たちが住むロングハウスへと到着すると、私は小屋の中や周辺を探索した。虫がそこら中にいて、シャワーはほぼ水であった。小屋の中は薄暗く、蚊帳付きの布団がずらりと並んでいた。その時私はすでに帰りたいと思った。唯一の救いは、Wi-Fi環境があることと美味しいご飯だけだった。
タライでの4日間は本当に過酷であった。2日目は朝からサイクリングをし、ジャングルの中を歩いた。雨が降った後のサイクリングだったため、泥道と水たまりの中を1時間以上にもわたり走った。通るたびに泥がはねるため、靴も服も泥だらけになってしまった。ジャングルの中はとても酷いものだった。ヒルに噛まれるかもしれない恐怖の中、一歩間違えれば転びそうな急な道を歩き、大量の虫が気持ち悪くて自然と足早になった。サイクリングで疲れた後にこんなジャングルを歩かされて、正直散々だと思った。3日目はグループに分かれて町の中にゴミ箱を設置するために地面の穴掘りをしたが、私は力が足りずに全く役に立てなかった。最終日にはグループに分かれていかだ作りをし、川でレースをした。いかだを漕ぐのは想像以上に大変だった。私のグループのいかだは全く進まずに、その上私は途中で川に落ちてしまい、その時ばかりは本当に泣きそうになった。
しかし、つらいことばかりではなかった。夜にはみんなでトランプや、音楽を流しながらバンブーダンスやゲームをして楽しい時間も過ごせた。私がくじけそうになったり疲れていた時でも、メンバーのみんなが一緒にいたから何度も助けられたり励まされたりもした。つらいことも楽しいこともみんなと一緒に体験してきた。いつの間にかタライに行く前の疲れはすっかり消えていた。そんな場所であったためか、最初はあんなに帰りたいと思ったのに、タライを去る時はなんだか少し寂しく感じた。
タライでの日々を終えて、日本へ帰る日も迫っていた。最終日にはベトナムメンバーと一緒にショッピングをした。初日にバディになったタンも一緒で、服や日本へのお土産一緒に選んでくれた。服を選んでいる時、私はタンにアドバイスをもらったりして、その時は普段友達と話しているような感覚でとても楽しかった。夕食をとるためにホテルに戻った時、私は急にふと寂しい気持ちになった。やっとみんなと仲良くなったところなのに、もう日本に帰るなんて信じられない、そう思った。明日も明後日も、またいつものようにベトナム学生と一緒に過ごす1日が始まるような気がしていた。フロントに戻り、外を見ると、ベトナムのメンバーが涙を流しているのに気づき、私は少し驚いた。別れが寂しいのは私だけではなく、ベトナムのメンバーも同じ気持ちでいたということがわかったからだ。私はそこでタンから、私は空港まで見送りに行けないから、ここでお別れと言われ、思わず涙を流せずにはいられなかった。今日一緒にショッピングできたことが本当に嬉しかったし楽しかったと伝えたら、彼女も目に涙を浮かばせて、またいつでも連絡してベトナムにも来てねと言ってくれた。空港に向かうバスから見えるいつも見ていたホーチミンの景色は、とても悲しく感じた。空港に着いて、そこで待っていたメンバーと再会し、また涙がとめどなく出てきた。ここでみんなと過ごした時間は私にとってとても思い出深いもので、別れが来てしまったことが本当に悲しかった。
この研修を通してわかったことはまず、リーダーになるというには決して簡単ではないということ。失敗も多かったし、周りからの助けがなければこの役目を果たすことも出来なかった。また、異文化を体験し、文化の違いを乗り越えていくことは決して簡単なことではないということ。異文化を超えて人と関わるということには嬉しいこともつらいこともある。しかし、同じ時間を共に過ごし、同じ体験を共にすることによって、一緒にいることが楽しいと思えたり、別れが寂しいと思えたり、同じ感情を持つことができる。それは違う国で生まれ違う環境で育ったことなどは関係なく、そこで共に過ごした経験は思い出深いものであり、そこでの人との関わりは、何にも変えることのできない価値があるものだと思える。
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