「研修を通じて変わったこと」
東京経済大学経済学部2年
池田 滉志朗
この12日間のベトナム研修は異文化交流と持続可能な開発目標(SDGs)について学ぶというものであった。これは私にとって初めての海外渡航ということもあり、期待よりも圧倒的に不安が勝った。それは、以前から興味を持っていた国際交流はどのようなものかという期待と、コミュニケーションと文化の違いに対しての不安だ。本稿では、研修を通して特に印象に残ったことと感じたこと、考えたことについて述べようとおもう。
はじめ、まだベトナムに来たという実感が湧かないまま10数名のベトナム人学生のいるカフェに案内された。私は国際交流が楽しみであったはずであるのに、いざ顔を合わせると不安でいっぱいになったのを覚えている。勉強してきたはずの英語もほとんど聞き取れず、周囲が楽しそうにコミュニケーションを取っている中、私は一人黙っていた。すると、あちらからゲームをしないかと誘われた。私は思ったようにコミュニケーションが取れない相手とゲームができるのかと疑問に思ったが、笑顔で一緒にゲームをしていると、いつの間にか緊張はほどけて英語も口から出るようになっていた。以前から耳にしていたことではあるが、人それぞれのバックグラウンドに関わらず笑顔は共通のコミュニケーションツールであるということを、来て早々に体感できた。
そして、ベトナムと日本の文化交流が行われたときは、互いの文化の素晴らしいところを認め合うことができた。私達は文化や考え方の違いをストレスに感じるようなことは一切なく、その時間は異文化の背景や宗教について考え、知ることができて充実したものとなった。ベトナムの文化紹介の次は、私達が事前ゼミ合宿やゼミ授業の時間外での話し合いなどで修正に修正を重ね造り上げてきたパフォーマンスを発表する番となった。最初はそれがベトナムの人に受け入れてもらえるか不安だった。しかし、ベトナムの方々はただ観ているだけではなく、私達と一緒になって踊るなど、パフォーマンスを体験してくれたため非常に有意義な時間となった。異文化交流は互いの国の文化に興味を持ち、価値を理解し、共有し合うことに意味があると思った。
また、シティツアーの中で訪れたベトナム戦争の歴史を綴る「戦争証跡博物館」では、枯葉剤が与える影響などの、日本では目にすることのできない生々しい資料をみて、この研修で最も衝撃を受けた。後日、研修の一環としてグエン・ドクさんと食事をさせていただいたときも、ベトナム戦争が及ぼした甚大な被害について聞くことができた。相手の国の文化に関心を持たず、価値を無視した悲惨な戦争は二度と起きてほしくないと強く思った。
SDGsについても同じようなことが言えると思う。SDGsの講義を専門家から受け、私は、現在SDGsのことを認識し、関心を持っている人はどれだけいるだろうかと疑問に思った。社会の無関心は問題解決の先延ばしへとつながる。私は、全ての問題の解決に向けて最も重要なのは、関心を持ち続けることであるし、無関心は罪だと改めて思った。
そして、今回のベトナム研修で最も予測不可能で過酷であったのが、4日間のフィールドトリップである。それまでの活動範囲であったホーチミンを出て数時間後、私は周りを見渡して驚いた。コンビニは見当たらず、近くにスーパー等の施設が全く見当たらなかったである。ホーチミンでは感じなかったが、ベトナムは発展途上国であるということをそこで初めて実感した。そのような場所で過ごす日は、日本では想像できないものであった。しかし、このフィールドトリップが、面倒なことを避け、予測できる範囲内のことしかやらない私を打ち砕いてくれたと思う。この研修を通じて、予測のつかないことが起こったときでもベストを尽くし、最良の結果に導く努力と対応力を得ることができた。
今回の研修の反省点は、英語の学習が足りなかったことただ一つだけである。日本人とベトナム人と英語で1対1の会話をしたときも、会話は途切れ途切れだった。深い内容に入ろうとすると英語でどう伝えるべきかわからず、もっと話したいのに話せないという非常に悔しい思いをすることとなった。この思いは研修が終わるまで続くこととなった。これらの後悔の原因は全て英語力にある。英語力があったなら、さらに良い研修にすることができたであろう。このような思いを二度としないためにも、英語の学習により一層の力を注ぐことを決意した。そして、英語のレベルが決して高くはない私でもこのような充実した日々を過ごすことができたのは、ベトナム人のあたたかい心遣いと笑顔のお蔭だと今になって強く思う。これから先、どこの国に行ったとしても、相手の国の文化を尊重し、笑顔で交流していきたい。
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