「交流する」ということ
神奈川大学外国語学部
国際文化交流学科3年
夏坂 茉実
夏坂 茉実
難民の支援をしたい。そう思ったのは高校1年生の時だった。たまたまテレビで観た難民キャンプの様子に、「何かしたい」と強く思ったのを覚えている。そして、それがきっかけとなり、大学に入学してからは途上国を訪れるようになった。メディアの情報だけでなく、現状を、現実を自分の目で見たいと思ったからだ。インドやカンボジア、フィリピンなど、ボランティアやスタディーツアーで訪れ、たくさんの現状を知ることが出来たし、たくさん考えさせられた。
しかし、そんな中で私はもどかしさを感じていた。支援をするためには、日本人の固定観念を払拭し、現地の感覚や常識に寄り添う事が必要になってくるが、私が関わってきたボランティアなどは外から見ることばかりで、生活には入り込めないし、所詮お客さんであった。もっと生活に入り込んで、対等な立場で接したかったし、彼らの目線で問題に向かい合いたかった。
そんな時に声をかけられたのが、今回参加したベトナムのスタディーツアーであった。日本人学生とベトナム人学生で、現地の地域活性の問題について学び、話し合う。そんな、交流をメインにしたスタディーツアー。
しかし声をかけられたときには、現地の大学生と「交流する」ことにあまり価値を感じていなかった。わいわい交流して楽しいだけで終わってしまいそうなイメージがあったし、大学に行くことが出来ているような大学生は私が支援したい対象ではないので、そこに意義を見出せなかった。また、どちらかいうとボランティアをしたいという思いも強かった。それでも、今までと違う視点で途上国を見られるのではないか、新しいことに気付けるのではないかという期待と、ただ単にベトナムに行ってみたいという気持ちから行くことを決めた。紹介してもらった時に見せてもらった写真に写っていた建物が可愛かったのも、実は行くことを決めた一因だ。
実際に行ってみて、最初はなかなか交流ができなかった。人見知りをしてしまったり、なかなか英語で気持ちを伝えられなかったりした。しかし、徐々にみんなと話すことができた。ただ、やはり英語のボキャブラリー不足には足を引っ張られてしまった。うまく表現できずもどかしい思いをしたことが何度かあったので、これからは語彙を増やしていく必要があるだろう。
世間話だけでなく、お互いの不安や不満を正直に話すこともできた。ベトナム人学生が人を後ろに乗せてバイクを運転するのが怖い、というのを聞いたときはとても驚いた。ベトナムでは、後ろに人を乗せて走るのは当たり前のことなのだと勝手にイメージを押し付けしまっていたことに気付いた。トイレが汚いのでホーチミンに帰りたいという不満も正直驚いた。私たちは海外から来ているから「環境が当然だから、現地に対応しなければ」と思っていたが、彼らにとってはあくまでも国内のツアーである。だから、日本人以上に環境になじめない人がいたのではないのかと思う。ベトナムといえばパクチーだけれど、パクチーが食べられない人もいて、事前に持っていたイメージとギャップのある面が多く、とても興味深かった。
そして、つねにベトナム人学生と一緒にいて、一緒に生活していく中で、少しずつ彼らの考え方や行動が見えてきた。一緒に現地の問題を考えていく中で、ベトナム人大学生の姿勢が見えてきた。なるほど、これが異文化交流なのか。異文化理解なのか。そこになって初めて、「交流する」ということの大切さに気づいた。実際に今までは、交流した気になって、挨拶程度の会話しかしていなかったのではないかと思う。それで、現地の現実を知ろうだなんて甘かったのかもしれない。
今回のスタディーツアーは、相手に向かい合って「交流する」ことの意味を教えてくれた。私は今まで日本でしか生活したことがなくて、日本人の考え方や常識に塗り固められてしまっている。だから、異文化を理解し、受け入れていくことは難しいと思うけれど、これから先、将来的に難民支援に携わることが出来たときに、きちんと彼らに寄り添った支援や考え方が出来るように、これからも様々な国、環境、立場の人と交流していきたいと思う。
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